〇〇さま

こんばんは、木坂です。

クリスマスになったので、サンタが街にやってきました。

いきなりですが、プレゼントに

http://www.insiderscoachingclub.com/radio/xmas/

をどうぞ。

サンタが二人いるのか、それとももはや一人のサンタになって
キメラ的な存在になっているのか、それはご自身の目で、
確認していただければと思います。

クリスマス限定、本日の23:59までの公開となっております。

さてさて、今回も徒然なメルマガをお届けします。

いつもは真剣に向き合ってくれている人も、軽い気持ちで
読んでいただければ(たぶん)それで大丈夫です。

僕という人間が不思議というか、理解不能だと多くの人には
思われているようで、僕自身は全くその意味が分かって
いなかったのですが、あまりにもそういう目線を投げられるので
その不思議の源泉に僕なりに、少しだけ迫ってみたいと思います。

そして、それが皆さんにどう活きるのか、後半部分で
お話ししてみたいと思っています。

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目次

1.不思議な世界。

2.成功の条件。

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1.不思議な世界。

先日、今年最後のセミナーが終わりました。

一週間くらい連続でかなりヘビーなセミナーを
やっていたので最後の方は体調が芳しくなくってしまい、
撮影していた方から「後半弱っていくのが見えて
心配していました」と言われてしまうという、最後の
セミナーなのになんとも情けない終わりとなってしまった
気配もなくはないのですが、何とか無事に、全行程を
終わらせることが出来ました。

でも、参加された方で、「あれ?」と思われた方がいたら、
勉強への集中力を阻害してしまって申し訳なかったです。

あとは多少の仕事を残すのみとなりました。

来年は1月1日から仕事なので、今年とか、来年とか、
あんまり関係ないのかもしれませんが。

考えてみれば、中学も高校もラグビーをやっていた関係で
クリスマスと年末年始は練習か筋トレか試合。

大学に入ってからは予備校で働き始めたのでクリスマスや
年末年始は夏以上に忙しい。

もう20年近く、クリスマスとか、年末年始とか、そういうものを
感じていないことになります。

僕は誕生日含めて、こういうイベントや記念日のようなものに
関心が薄く、というかほぼなく、人から言われて

「ああ、そう言えばそういう日だったね」

と思い出すばかりなのですが、何でこんなに関心がないんだろうと、
あらためて考えてみることがありました。

若いころ、と言っても大学生とかそのくらいですが、
その頃は

「クリスマスとか誕生日とかに浮かれているのはバカだからだ。
あんな意味のないものに浮かれて人生とお金を浪費しているから
あいつらは一生バカなんだ」

と思っていて、そういう大衆嫌悪が僕にそうさせているのだと
思っていました。

でも、最近はそうでもない。

別にクリスマスに浮かれている街や人々を見ても不快感は特に
ないですし、まあ多少「そんなんしてる暇があると本気で
思っているのかなあ」とは思うのですが、でも別に不快な気持ち
ではなく、心配に似た気持ちからそう思っているので、
昔理解していた理由とは違うのかなと思い始めていたところでした

あらためて考えてみると話は思った以上に簡単で、というか
簡単すぎておそらく若いころは認めたくなかったのだと思うのですが、

「木坂家は、誕生日もクリスマスも年末年始も、特に何も祝わない」

という、三つ子の魂百まで的なことが根本的な理由なんだなと、
今では理解しています。

要は、それらの日が「嫌い」なのではなく、本質的に
「意味不明」なのであって、「嫌い」と思っていたのは
単に自分の認知不協和を何とかして直そうという心理的な
機制だったのかなと。

誕生日だから祝う、クリスマスだから祝う、新年になれば
「おめでたい」という感覚が、そもそも僕の中には存在せず、
世間のそういう空気が「理解できない」のだと思います。

知らないものを理解している、というのは、単なる語義矛盾で、
要は無理ですから。

僕は昔、友人と家族の話になり、その友人が

「子供のころはよくわかってなかったけど、食事ってのは
結局一家団欒の最たる時間だから、大事なんだよな。孤食が
普通になってきてる今の社会は、どうなっていくんだろうな。」

と言ったことに対して

「団欒?うちは毎回家族全員で食事してはいたけど、
俺は戦争みたいなイメージしかないよ。ほとばしる緊張感の中、
毎日食事してた。団欒なんて時間は、食事に限らず、俺の人生で
これまで存在したことがないよ。」

と答えたことがあります。

その友人はぽかーんとしていましたが、同じくらい僕も
ぽかーんとしていました。

お互いが「理解不能」に陥った瞬間でした。

そうか、家族での食事ってのは、普通は団欒の時間なんだ。

誰かとご飯を食べるというのは、「あたたかさ」の象徴で、
逆に独りでご飯を食べるというのは「寂しさ」の象徴なんだ。

小さいころ、友達の誕生会とかに呼ばれて感じていた違和感の
正体がその時うっすら分かったような気がしました。

僕は、幼稚園の頃から誰かと食事をするのが得意ではありません。

小学校の時は給食でしたが、5分くらいで食べ終わり、
一人教室に帰っていました。

中学高校は弁当だったので、どこか空いた時間でさっと食べ、
みんなが食事をする昼休みはどこかでぼーっとしてるという日々。

大学時代は1日平均1食だったので、昼休みは図書館で毎日
勉強してました。

いつもは混んでるのに、その時間だけはすいてて机も占領し放題、
大変快適だったのを覚えています。

今でも食事は、一人で黙々と食べるものだとどこかで感じてる
ところがあり、少人数での食事はさすがに抵抗がなくなってきましたが、
それでも5人以上人が集まる場には極力行かないようにしています

昔和佐君とICCというコンサルティングサービスをやっていた時
月一回日本のどこかでセミナーをやってその後懇親会、という
「よくある」サービスがあったのですが、僕はその懇親会が辛くて
仕方なかった。

楽しいんだけど、辛いんですよ。

みんなとくだらない話も含めて話すのは好きなんだけど、辛いのです。

わかるかなあ、この複雑なオトメゴコロ。

だから僕のセミナーには懇親会がないですね。

これまで10年近くこの仕事してきてますけど、数えるくらいしか、
やったことがないです。

昔は「懇親会を楽しみにしてくるようなバカとは話したくないから」と
思っていましたが、たぶん実相はそうではなく、

「懇親会が楽しみという感覚を共有できず、その場にどのような
スタンスで存在していたらいいかわからないから」

というのが実際のところなんだと思います。

そんなことんなで、懇親会がなくて寂しいと感じている
受講者の皆さんには申し訳ないのですが、その分セミナーで
返す気持ちでやってますので、ご容赦いただければ。

僕のことを「謎な人」「宇宙人」「変態」「理解できない」と
思っている人は多いようですが、それと同じくらい、僕も
皆さんとこの世界をそういう風に思っています。

毎日「ぽかーん」としています。

でも、全く世界とはよくわからないものですが、わからないから
楽しいんじゃないかとも思うわけです。

「不思議=楽しい」という世界に生きるのか、
「不思議=辛い」という世界に生きるのか。

これは結構重要な分岐点だなあと、個人的は考えて
いるのですが、ちなみにこの話、実は次の2にも
続いていますので、長いんですけど続きも一気に
読んでもらった方がいいかもしれません。

2.成功の条件

先日のセミナーでも聞かれたことで、昔から比較的よく
聞かれることに

「仮説の立て方がイマイチわかりません」

というものがあります。

たとえば先日のセミナーではいろんなデータの説明を
したりしたのですが、何人かの方から

「そもそも自分の疑問を知るためにどのデータを
見たらいいのか、その“あたりの付け方”がわからない」

という質問をもらいました。

これは要するに「仮説の立て方」についての質問です。

自分が知りたいことがある。

それを知るためにグーグル先生に聞こうとするんだけど、
なんて聞けばいいのかわからない。

何を調べれば自分が知りたいことを知ることができるのか、
わからない。

そういうことだと思います。

これは簡単に言えば

「これを知るためには、こういうデータがあれば
いいのではなかろうか」

というアイディアが、つまり仮説が出るかどうかの
問題だと僕は理解しているのですが、どうやらその
とっかかりが多くの人には難しいらしいのです。

これは実は講師泣かせの質問のひとつで、いつも僕は
答えに困ってしまいます。

というのも、本質的に仮説というのは「飛躍」が起こって
初めて生まれてくるものなのであって、つまりこの質問の
中身をもうちょっと正確に言うと

「その飛躍をどうやって起こせばいいのですか」

という質問に還元されるわけですが、飛躍を起こす方法が
説明できたらそれは飛躍じゃないだろうという壁にぶち当たって
しまうのです。

ですから、一般論としては

「数です。とにかくたくさんの情報に触れてください。
一定以上の量の情報に触れると、飛躍が起こります」

というのが答えになるのですが、そうすると今度は

「情報の海でおぼれない方法を教えてください」

という人が出てくることになる。

これはもう実際の泳ぎ方と同じで

「一生懸命練習してください」

としか言いようがない領域なのですが、いずれにしても、
仮説というのは文字通り無数に存在するものなので、
その「導き方」というのは厳密にはマニュアル化することが
できないものなのです。

僕は、アインシュタインの偉大さは、あの世界一有名で世界一
美しいと言われている式を本当には理解できていないくらいなので
本当には分かっていないのだと思いますが、彼が言ったらしい

If I had one hour to save the world,
I would spend the first 55 minutes defining the problem
and the last five minutes solving it.

という言説は、本当に真実であるなあと、体験からも思います。

どうも日本語では「最初の55分で質問を探す」という風にかなり
意訳されて広まっているようですが、英文を見る限り、彼がここで
言っているのは「質問を探す」というぼんやりしたことではなく、

「問題の定義をする」

というかなりソリッドなことです。

では、「定義する」とはどういうことなのか。

実は、この前で彼はsolutionと対比して

本当に大切なのはsolutionではなく問題のformulationである」

と言っていて、目の前に立ちはだかる問題のformulationさえ
できれば、あとは5分くらいで解決策も見つかるさ、ということを
言っているのです。

これを裏から言えば、

「答えを探すのに55分かける人は結局何も得られない」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ということです。

何かを達成できる人はformulationにフォーカスしており、
結局何も達成できない人はsolutionにフォーカスしている

これは極めて重大な成功法則です。

ところが、このformulation(定式化)という感覚が、
適切な訓練を受けていない人にはイマイチピンときません。

ぼんやり何かを眺めていたらぱっと思いつきました、
なんていう類いのものではないのです。

大雑把に言うと

1.問題をあれこれ分析して眺め
2.その構造を理解し
3.本質と枝葉を分離し
4.本質部分の定式化を行う

という4つのステップからなる作業が必要になるわけですが、
そのために必須のアイテムとなるのが、今話題にしている
「仮説を立てる」力なのです。

仮説を立てて検証し、また仮説を立てて検証し、ということを何度も
繰り返すことで目の前にある問題の全体像が、そして構造が見えてきます。

そしてさらに続けていくと、本質の部分と枝葉の部分がはっきりと
見えてきます。

そうして初めて、本質部分のみをformulationする土台が整うのです。

「物事の本質を見極める力」なんてポップな感じで言われることが
多い例の力は、こういう面倒なプロセスを経て初めて養われるもの
なのですよ、本当は。

この4ステップそれ自体も大切ですが、それ以上に全てのステップで、
仮説を立てるというアイテムを使わなければならないということを
忘れないようにしてください。

ほとんどの人はこれができないので、あるいはやろうとすらしないので、
問題を前に四苦八苦して、右往左往して、投げ出して、昨日と同じ人生を
歩むことになる。

ここ2、3年のセミナーでは一貫して言っていることですが、
仮説を立てる力がないと、人生は向上しないのです。

それは世の中で言われるような「質問力が大事」とかそういう
チャラくてモテる話ではなく、もっと人間存在全体に関わる
重くて煙たがられる話なのが、残念なところではありますが。

で、です。

話を戻しますが、この仮説を立てる力が、僕は(その定義は
ともかくとして)成功するために必須のアイテムだと考えていて、
そういう力を養えた人から自由の世界に羽ばたいていくのを
ずっと見てきていますが、この仮説を立てる力って、何が
源泉になって生まれてくるものなのだろうと、考えてみました。

考えてみました、というか、昔から実は言っていて、

「興味、好奇心です」

というのがその答えなのであらためて言うようなことでも
ないのですが、最近考えたのは

「どうして人は興味や好奇心が少ないんだろう」

という問いに対する答えです。

ダイレクトに「自分には興味のあるものはほとんどありません」と
言ってくる人もいますし、ダイレクトには言わないけれど僕から見て
「何ににも興味持ってないんだなー」と感じる人もいます。

よく、

「子供は好奇心の塊だが、大人になるにつれてそれを失う」

なんて言われますけど、それはなんでなんだろう、と。

言い換えれば、僕はなんで失っていないんだろう、あるいは僕以外にも
一部の大人はなんで失っていないんだろう、と。

その理由について考えてみたのです。

だって、興味持ってくださいね、って言われても持てないじゃないですか。

頭がいいか悪いか、ということはほとんど関係ないだろうなというのは、
だいぶ前からわかっていました。

僕の頭の良さもたかが知れていますし、アインシュタインやエジソンも
昔は知恵遅れだと思われていたわけですし、根本的にそういうことでは
ないのだと思います。

一方で昔から頭がいいとされていた人や、当たり前に東大に入るような
人の多くは、僕から見て「好奇心はない、頭も動いてない、でも
情報だけはたくさん入る」ような人に感じました(もちろん全員じゃ
ないですよ)。

ではいったい何が好奇心を生んでいるのか。

好奇心を失った人と、失っていない人の違いはどこにあるのか。

その答えになるきっかけを、最近友人と話していて
発見できました。

友人と話していたのはまさに「興味」というものについてで、
興味があるとはどういうことか、などの話を延々していました。

その時、僕はどうしても拭い去れない違和感を感じていて、
でも何に違和感を感じているのか最初はよくわからなくて、
しばらく議論を続けた先に、「ああ、なるほど」と思う瞬間を
見たのです。

僕は、「興味」とか「好奇心」というのは、「不思議」によって
生まれるものだという前提で話をしていました。

不思議だから知りたい、と。

僕にとって興味や好奇心はそれ以上でもそれ以下でもありません。

でも、その友人は「好きだから」興味が生まれるという前提で
話していたのです。

これは似ているようで決定的に違います。

例えばその時、僕は「時計は非常に興味深い、とても興味がある」
発言したのですが、友人はすぐに

「え?お前時計好きだったっけ?いつから?」

と返してきたのです。

僕が時計好きかどうかは全く議論のテーマとしてあがっていないのに、
一体どこからそういう発想が出てきたのだろうと、すごく不思議でした。

でも、要するに彼の中では

「興味がある=好き」

という等式が成立しているので、そしてその前提で世界を見ているので、
僕が「時計に興味がある」と言った時に「自動的に」そして「反射的に」
言い換えれば「無意識的に」

「お前時計好きだっけ?」

という質問が出てしまったのだというわけです。

これはエポックメイキングでした。

彼は、僕の中ではそれなりに訓練された人間だと思っていたのですが、
その彼でさえ、本人の自覚しないところで

世界を好きか嫌いかで見ている
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ということが分かったからです。

ということは、世の中のほぼすべての人は、本人の意思に関係なく、
世の中を好きか嫌いかで自動的に分類し、何かを判断しているのでしょう。

「好きか嫌いかは関係ない」という領域がないというのは、
僕にはすごく驚きでした。

実は、純粋な意味での興味とは

「好きか嫌いかは関係ない」

領域の住人です。

何かに対して興味を持つのは、不思議に思うからなのですが、
でもこの「不思議」というのは、文字通り不思議なのであって、
つまり理解不能な事柄なのであって、別に好きか嫌いかは
関係ないからです。

「好きだから不思議」「嫌いだから不思議」では日本語として
意味が成立していないですよね。

「理解できないから不思議」なのです。

で、人間には不思議というの名の認知不協和が脳内に生じると
「それを元に戻したい!」というホメオスタシスが働くような
機能が備わっています。

この不協和を解消する道は2つしかなく

1.解明する
2.忘れる

ですが、興味というのはもちろん1を選択した場合にのみ、
発生します。

ですから、僕のようにいろんなテーマのセミナーをやっていると

「ビジネスには興味があるけど哲学には興味がないんですよね」

なんて言う人に出会ったりしますが、その人はその発言で
何を僕に伝えているかというと

「私は、不思議を感じる能力が低い人間であるか、あるいは
不思議を感じても面倒なので忘れるような生き方をする人間です」

ということを伝えているわけです。

それはその人の人生なのでご自由にしたらいいと思いますが、
興味の絶対値が低いわけですから、人生の絶対値も低いところで
頭打ちすると僕は思います(それが悪いと言っているのではなく、
ただ事実としてそうだと言っているだけです)。

最初の方で言った通り、僕は成功の必須アイテムは「興味」だと
思っています。

これが1しかない人は、1の人生を、1億ある人は1億の人生を
歩めると思っています。

その意味で、「興味がない」と言う人と「ああ、それは知ってます」と
言う人は、実は同じ穴のムジナだということです。

何かに対して不思議を感じないというのは、人間として致命的です。

ソクラテスが「無知の知」という説教をして煙たがられていた頃から
数千年経ってもなお、同じ説教が必要なのが人間なのですね。

僕は数年前からずっと「これからは二極化が拡大するのだから、
どっちの極に入りたいのかよく考えて人生を選択すべき」と
話してきていますが、入りたいか入りたくないか以前に、
ある種のパスポートとして「興味」があるような気が最近は
しています。

つまり、興味レベルが一定以上高い人のみ入れる極があるのではないか、
ということです。

だから僕は、いつも「興味を持て」「不思議の解明を諦めるな」
「簡単に答えをもらおうとするな」「バカほど死ぬ気で頭を使え」
「やる気がないなら二度と来るな」と言って(嫌われて)いるのです。

この世界でよく見られることに、

「自分はどうすれば成功できるんだろう?」

という不思議に対する「答え」とか「正解の道」みたいなものを
手に入れれば成功できると思っている人はほぼ例外なく
成功できない、という普遍的なパラドックスがあります。

それはなぜなのか、というのは逆にみんなが思ってるほど不思議ではなく、

「パスポート持ってないからだよ、ってか率先してパスポート捨てて、
密入国の道を求めてヤバいやつに連絡取って大金払って、その結果
運が良くて強制送還されて、場合によっては国境警備隊に打ち殺されて
人生路頭に迷ってるだけですよね」

で僕の中では終わりなのですが、たぶんこれも多くの人には
「ぽかーん」なんだろうなあ。

本当に大切なのはsolutionではなく問題のformulation」

なんですけどね。

さて、長くなりましたが、結局何を話したかったのか。

もちろん興味の大切さを話したかったのですが、僕が興味を
失わずにおっさんになれたのは、なんやかやでおそらく

「変な育てられ方をしたから」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

に尽きるんだろうなと、思うのです。

前の話にもつながることですが、僕は物心ついた時から、
全てが不思議で、全てに違和感があり、全てに戸惑っていました。

一生懸命周りを観察し、ルールを理解し、何とかそのルールに
乗っかることで今まで生きてこれましたが、違和感が消えることは
もちろんなかったですし、周りからもずっと変な目で見られていました。

僕が叩き込まれた(抽象的な意味での)木坂家のルールと、
世間一般のルールがあまりにも乖離していて、その擦り合わせが
うまくできなかったのです。

若かりし頃は、そのせいで随分生きにくい思い(と言っても社会に
うまく適応できず、友達が全然できなかったくらいですが)も
しましたが、今ではむしろよかった、恵まれている、と思っています。

だって、そのおかげで今でも世界が不思議に満ちているのですから。

知っていることが何もない、全てが不思議で、全てに興味がある。

そんな夢のような世界で生きることができている。

不思議の国のアリスならぬ、不思議の国を見ている木坂、
という感じでしょうか。

となると、変な育てられ方をしていない、ほとんどすべての人は、
多分僕よりも見えている不思議が、感じている不思議が少ないのだと
思います。

それは、親の育て方なのだから、仕方がないことなのだなと、
最近は思うようになりました。

でも、一定以上の興味を持ってもらわないと、パスポートが
必要な世界には入れなくなってしまう。

まかり間違って

「俺さあ、成功への最短経路、知ってるんだよね」

と囁くヤバいやつに連絡を取り始めたら、パスポートを
探すことすらしなくなったら、手遅れになっちゃうかもしれない。

ということで、僕のセミナーやメルマガは、何かを好きに
なってもらうということではなく、ただひたすら

「世の中ってこんなに不思議なんですよー」

ということを、できるだけ実感してもらえるように、
作っています。

別に、それが好きか嫌いかはその人が自由に決めればいいことで、
僕が伝えるべきことではありません。

僕はただ、不思議なものを不思議ですよね、興味深いですよね、
面白いですよね、と伝えたいだけなのです。

それが、不思議の国を外から見てる僕にできることなのかなと、
思うからです。

不思議の国も、住んでしまえば不思議ではなくなるのでしょう。

だからこそ、僕のようなガイジンが何かを言うから伝わることもある。

そう信じながら、これからも適度に発言していきたいと
思います。

この段階に来て初めて、

「不思議=楽しい」という世界に生きるのか、
「不思議=辛い」という世界に生きるのか

という、最初の話とつながってくる。

僕は幸いにして、前者の世界に生きることができているわけですが、
たぶん、どちらかというと多くの人が、不思議を見せられた時、
後者の世界に引きずり込まれてしまうのだろうなと思っています。

「面倒だ」「つらい」「答えを教えてくれ」となるのだろうなと。

僕は向こう10年で、どちらの世界に生きることができるかが、
決定的に人生を分けると思っています。

僕が風邪を押して話した今年最後のセミナーは、このことを
お話ししたセミナーでもありました。

受講した方は、是非その観点からも復習してみてください。

うまくいけば、Stay Goldから一連のセミナーが、
全部つながって見えてくると思います。

そういう風に作っています。

是非、セミナーを受講していない皆さんも、面倒かもしれないけど、
「興味」ということについて、自分なりにいろいろと考えてみて
くださいませ。

ではでは、今回はこの辺で。

何か質問や感想等あればこのメルマガに返信してください。

ありがとうございました!

木坂