〇〇さま

こんばんは、木坂です。

前回は唐突に映画の音声を配りましたが、
いくつか感想で

「スクロールバーがあんなに大きいのは木坂さんの
メルマガではない」

というものが送られてきました。

うるせえよ、と思いつつも、半分くらいは
「ホントそうですよね」と思ったので、今回は
(いつものように)スクロールバーを小さくしてみました。

これはこれで

「読み切れないよ」

という感想を持つ人もいるのでしょうが、
同じ日本人、日本語で書かれたものが読めないわけはありません。

少し楽しい人生が送れるようになると思うので、是非、
頑張って読んでみてくださいませ。

あ、音声も一本ありますし、セミナーのお知らせもあります。

実はすべてがつながっていて、盛りだくさんなので、
しっかり学んでもらえればなと思います。

ではでは、行きましょう。

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目次

1.日本の未来、世界の未来。

2.現代によみがえる“左翼”の亡霊。

3.今年のセミナーのお知らせ。

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1.日本の未来、世界の未来。

先日、面白い人に合いました。

30代真ん中の日本人で、NHKのディレクターを辞めて
突然イタリアにスーツの職人になりに行った人です。

彼と4時間くらい話して、僕と感じていること、
特に危機感が似ていたので、その話をしたいと思います。

http://www.masterclasstrilogy.com/neye/jf_l.mp3

ここから音声をダウンロードして聞いてみてください。

もしかするとダウンロードに時間がかかる瞬間が
あるかもしれませんので、その場合はまた時間をおいて
チャレンジしてみてください。

今がどういう時代で、この先どうなるのか、そういうことを
考えるヒントになればと思います。

もちろんこのテーマは前回の映画の音声と共通ですが、
切り口が違う事で印象も変わっていると思いますし、
今回は具体的な提言も入っています。

そして次の記事とのつながり、最後に僕のセミナーを
紹介するレポートとのつながり、その辺が理解できた時に、
自分が来るべき時代に向けて今すべきこと、それが
見えるのではないかなと。

絶対に損はしないと思います。

時間を確保して、今回のメルマガと前回の音声全てを
一堂に会して、集中して取り組んでみてください。

2.現代によみがえる“左翼”の亡霊。

都民の方以外には直接は関係のないことですが、
来月都知事選があります。

例によって「これじゃあお金もらっても選べないだろ」という
実に豪華な顔ぶれで、まったく都民であることをいよいよ
辞めたくなってきますが、そんなことを言っていても何事も
始まらないのでせめてこの事態を使って何か学ぼうじゃないか、
などと前向きなことを思うフリをして、こうして記事を書くことに
しました。

今、都知事になる可能性があるだろうとされているのは4人いまして、
舛添さん、細川さん、田母神さん、宇都宮さんがその4人ですが、
田母神さんを除いて、事実上公約というものが存在しません。

その公約のないお三方は口をそろえて「脱原発に命をかけます」
みたいなことを言っているのですが、僕は不思議でならないんですよ。

都知事が、エネルギー政策にいつから決定権を持ったのだろう、と。

エネルギー政策は、当たり前ですが「国策」です。

一自治体の長が独断で日本のエネルギーの未来を決められるわけはない。

要するに、都知事候補が「都知事になったら脱原発頑張ります!」って
言っているのは、「都知事になったら美味しいカレー作ります!」って
言っているのと同じ、いやそんなのは家で勝手に言っててくださいよ、
というレベルの話なのではないかなと。

まあ、東京都民には、つい先日も脱原発を掲げた某Yという
どうしようもないアホを当選させてしまった前科があるので、
きっとすんげえバカにされてるんだろうなあ、脱原発とか
言っておけばとりあえず票集まるんでしょってな具合で
思われてるんだろうなあとはうっすら濃厚に感じるわけでは
ありますが。

いずれにしても、争点は「脱原発・反原発」になりつつある。

自治体の選挙でこれが争点になるその不毛さはとりあえず
脇に置くとして、ここでは、その「脱」原発とか「反」原発という
より不毛な風潮について、少し考えてみたいと思います。

ところで、昨今勧善懲悪的なドラマが次々と打ち出されているという
噂を耳にしています。

半沢直樹であるとか、リーガルハイであるとか、これから放送される
天誅であるとか、そういう

「悪いやつらを懲らしめろ」

というテイストが受けていると。

いや、いつの時代もこういうものは受けるのですが、それが
「特に」受けているというのはなかなか危機的なことで、
はっきり言ってしまうとこのことが日本の衆愚レベルを
よく表していると思うのです。

僕は「バカな大衆に共通の世界観」として

1.何でも白黒に分ける二元的思考
2.自分の価値観・正義の絶対化

を挙げることができると思っていますが、ここにドンズバで
アピールするのが勧善懲悪的なドラマなわけです。

「自分は正しい、悪いのはあいつだ、だから懲らしめろ」

となる。

これだけ聞けばなんて暴力的な、と思うわけですが、
実際にはこういうのが受けている。

そういうのがたくさん作られる背景には、当然ですが
それを支える大衆の状況があるということが言えます。

実際、半沢直樹は、制作サイドとしてはそんなに当たるとは
思っていなかった、意外なヒットだったくらいですから。

つまり、「大衆の専門家」であるメディア側が見誤るくらい、
日本国民は上記二つの特徴を強く持つようになっていた、
ということになります。

さてここで考えてみたいのですが、「あいつは悪いやつだから
懲らしめろ」という場合の「悪い」とは一体どうやって
決まるものなのでしょうか。

人のお金を盗みました、それがなぜ「悪い」とみなされるのか、
嘘をつきました、それがなぜ「悪い」とみなされるのか、あるいは
人の悪口を言いました、それがなぜ「悪い」とみなされるのか、
答えられるでしょうか?

たぶん、できないのではないかと思います。

「赤ちゃんってどうやってできるの?」と同じく、
子供に聞かれたら困っちゃうなあ、という問いのひとつですね。

困っちゃう理由は全く違うけど。

で、これは哲学的にも宗教学的にも大変重大な問題で、いまだに
何か結論が出ているわけではないのですが、僕らは「善悪」という
謎の価値観を「持ってはいる」のだけれど、それがなんだかを
説明することはできないわけです。

ただ一つ、日常言語を使って言えるのは、

「悪は善の裏返し」

ということです。

つまり、「自分が考えていることは正しい」とか、
「親が言っていたことは正しい」とか、「学校で習ったことは
正しい」とか「テレビや新聞で言っていたことは正しい」とか、
「偉い学者が言っていたから正しい」とか、何でもいいんだけど、
まず初めに「正しいこと=善」が存在して、それに「反する」ことを
悪とみなす。

こういう性質が、僕ら人間にはあるらしいということがわかっています。

で、僕らが持つ「○○は正しい」という価値観が、本当に
正しいかどうか、それは神様以外に証明はできないのですが、
今回考えたいのはそこではなく、そのアンチテーゼとしての
「悪」とは、いったい何なのかという問題です。

前回配布した音声で、ハンナアーレントについて言及しました。

「この時代、悪は陳腐な人間が悪意なく行うものになった」

という趣旨のことをアーレントは明らかにして世界中から
非難されたわけですが、アーレントが正しかったことを、
歴史が証明してしまったように見えます。

「陳腐な=ありきたりな」人間とは、まさに大衆のことです。

大衆とは、先ほどの定義を繰り返せば

1.何でも白黒に分ける二元的思考
2.自分の価値観・正義の絶対化

このような価値観を無自覚に持っている人たちのことです。

こういう人達は、自分の価値観や正義を絶対化していますから、
その反対を「いとも簡単に」悪と認定することができてしまいます。

その悪を一方的に叩き、非難し、時に暴力的に排除することが、
称賛されてしまうのが彼らの世界です。

例えばネットビジネスをしている人たちの間で見られる対立として

「本質的で抽象的なことを学ぶべきか、ノウハウやテクニックを学ぶべきか」

などがありますね。

僕は「どっちでもいい」と思っています。

厳密に言うと、

「長期的に考えるなら本質だろうし、短期的に考えるなら
ノウハウやテクニックでしょ」

ということで、さらに僕個人の立場を言えば

「短期的に小銭稼いで何が人生楽しいの?どうせ頑張るなら
人生に関わるスパンで頑張りなよ」

というのがあるので僕は本質的なことをなるべく語ろうとは
していますが、別にテクニックなどを学ぶことが「ダメだ」とは
思っていないわけです。

実際、ネットビジネス大百科では、テクニックの話も
結構していますよね。

要は、「視点による」と言っているだけなのです。

最後は「どちらも大事。」

ところが、ネット上の意見を見てみると、

「あいつは抽象的なことばかり語るからダメなやつだ、
今すぐ稼げるテクニックにこそ価値がある」

「あいつはテクニックばかり話すからダメだ、そんな奴は
すぐに消えるから、もっと本質的なことを学ぶべきだ」

という不毛な争いに矮小化されている。

これが、バカな大衆に典型的な議論の仕方です。

なので、こういう人にはついて行かない方がいいんじゃないかと
個人的には思っているのですが、まあそれはそれとして、
ここでイメージを掴んでほしいのは、

「自分と反対の考えを“悪”と断定する感覚」

です。

この感覚は、実は数十年前を支配した価値観が少し形を変えて
蘇ってきたものだということに、ほとんどの人は気が付いていません。

それが、左翼思想です。

左翼思想というのは、別に社会主義や共産主義万歳と言っていれば
それでオッケーというものではありません。

その理論的な部分、つまりマルクスの思想の話ですが、その根幹には、
弁証法があります。

マルクスはヘーゲル主義的ですから、弁証法であれこれ世界の
成り立ちや歴史について考察していったわけですが、要するに、

「テーゼ(正)にアンチテーゼ(反)をぶつければジンテーゼ(合)が
生まれてきますよね」

という一つの原理に従って、全てを記述しようとしたわけです。

「こうやって矛盾するものが対立することで歴史は進むのだ!」

と力強く宣言したのが、弁証法的な歴史観です。

そのため、世界中にある共産党などのドンズバ左翼や、
ある種の宗教やナチスや北朝鮮などの独裁国家などは、
徹底的に敵(=アンチテーゼ)を作り、それを
「こっちの正義(=テーゼ)」とぶつけますよね。

ユダヤ人に対するアーリア人、資本主義に対する社会主義、
というように。

日本もかつて「鬼畜米英」などと叫んで一億玉砕もやむなし、
という空気を朝日新聞などと共謀して作っていった過去があります

こうすることで、歴史や国家が発展すると、錯覚していたからです。

もちろん発展するのは、「自分の」歴史であり「自分の」国であって、
相手はそのための「踏み台」として敵に認定されていただけですが。

この弁証法それ自体は三段論法みたいなもので、
有害でも有益でもありません。

全ては使い方次第なのですが、問題だったのは、
このやり方が「大衆性」と非常に親和性が高く、
バカほど都合よく洗脳しやすかったことです。

これに気づいた先ほど挙げた旧社会主義国や独裁国家、カルトなどは、
これを使って徹底的に愚民化政策を行い、それを聞く人を洗脳し、
家畜化し、搾取していく構造を作り上げていきました。

元々あった崇高な理念とセオリーは消えてなくなり、
単に「支配の道具」として使われていったのです。

それが、“左翼思想”の成れの果てであり亡骸です。

現代において、「悪」を懲らしめる勧善懲悪的なドラマが
次々にヒットし、都知事選の争点として「反」原発というものが
掲げられる。

それはまさにこういう弁証法的なもの、左翼が理論的根拠にしていたもの、
それがよくない形で色濃くよみがえってきていることを意味しています。

「よくない形」というのは、独裁国家やカルトが目指した、
「愚民化」「家畜化」の伝統が亡霊としてよみがえりつつあることを
意味しているのです。

ところが。

一方で日本は右傾化していると世界から言われています。

首相の靖国参拝然り、中韓との仲の悪さ然り、あるいは
「ネトウヨ」なんて用語もあるくらいです。

果たして日本は、左翼が墓場から出てきているのか、右翼に
なってきているのか、どっちなのか、と。

僕は、ネトウヨと呼ばれるような人たちを筆頭として、
保守を自称している今時の右翼というのは、“左翼”的だと
感じています。

左翼とネトウヨは本質で似ているのです。

それはつまりどういうことかというと、

「反対しか主張がない」

ということです。

「あれは嫌だこれも嫌だ」
「あれはダメだこれもダメだ」

しか言わない。

「中国はダメだ韓国もダメだ」
「グローバル化は嫌だ貧乏も嫌だ」

・・・じゃあどうするのか、と。

「反対」というのは、今見てきたように「テーゼ(正)」があって
初めて出てくる概念なのですが、言い換えれば、反対が生まれるためには、
まずはテーゼがなければならないのです。

このテーゼは、当然ですが、その「反対」を主張している
人達が出したものではありません。

誰か他人が出したもの。

つまり、他者の土俵ありき、他人のふんどしでしか相撲が取れない、
他者の主張に寄生してアンチテーゼでしか生きていけないような

人間的貧困と知的脆弱性を抱えたやつ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

のことを、左翼と呼んだり、ネトウヨと呼んだりすれば
いいのではないかと、僕は思うのです。

都知事選やドラマ事情を見ていて憂うのは、こういう人達が
日本のメインを占めつつあるという現状です。

自分のオリジナルな主張を言わず、他者を見て恨みつらみ、
批判という「アンチテーゼ」のみを主張し、それが「自分の」
主張だと勘違いし、大声を出して生きている。

そういう人というのは、文字通り自分がない人と言えるでしょう。

自分の土俵がないから、自分のレーゾンデートルに悩んでいるから、
何か権力のようなもの、叩きやすいものに「依存」「寄生」する形でしか、
自分の存在を世界に知らしめることができないのです。

自分というものを人生のどこかで失って、それを取り戻すために
他人を傷つけて、同時に自分を傷つける。

自分がかわいくてやっているのに、結果として自分の傷に
塩とハバネロをダブルですり込んでいるような状況になっている。

その手でついつい目も掻いちゃってあーあ、みたいな。

だから僕はそういう人を見ると、20代の頃のように、
怒りや憎しみはもうこみあげてこなくなりました。

都知事選を見ていても、流行っているドラマの話を聞いていても、
ただただ、可哀想だなと、憐れに見えてしまうだけです。

倍返しとか、バカ以上の有害物質で、誰も幸せにならない
最低の道なんじゃないかと、なぜ思い当たらないのかが不思議で
仕方ない。

繰り返しになりますが、「反対」というのは、テーゼがあって
初めて成り立つものです。

肯定文があるから否定文が出てくるのであって、その逆はありません。

つまり、「否定」というのは、その存在の本質が、「寄生的」なのです。

テーゼに寄生する形でしかアンチテーゼは生まれてこない。

テーゼにはアンチテーゼが自動的に内包されている、
という言い方もできます。

アンチテーゼは、それ自体では何も言っていない、
何もオリジナルなものがない寄生虫のようなものなのです。

なぜ、能力開発の世界で「脳に否定形はないんですよ」ということが
言われるのかが、これでわかると思います。

科学的に正しいかどうかは別にして、その根拠として考えられるのは、
人間の脳ミソの構造的に、いきなり否定形というのは出てこないし、
テーゼが出れば同時に否定形も出てくるわけですから、

「わざわざ否定形に特化した領域がない」

と考えられるのではないかなと。

余談ですが、そこに気が付けば、人は少しだけ幸せになれるのでは
ないかなと僕は思っています。

つまり、自分を傷つけているあの人も、あの上司も、あの親も、
あの友人も、誰でもいいのだけど、そういう人達は、

「ああ、私の存在に依存しないと自分の実存が揺らいでしまう、
可哀想な人なのだ」

と理解できるから。

キリスト教が世界宗教になれたのはこの部分を見事に定式化したからで、
そういう「可哀想な人達にも愛を持て」と、根本的な解決策を
教えてくれた点が画期的でした。

そして、そういう人達に愛を持つことで、他ならぬ「自分自身」を
救うことになるのだ、と。

なぜなら、そういう人というのは、自分の中にあるシャドーだからだ、
それを癒すことで云々、という少しふわふわした話が好きな人が
喜びそうな話にもつながっていきます。

話を戻しましょう。

僕らは、否定されると嫌な気持ちになるわけですが、それなのに
他者を否定してしまう、自分勝手な生き物です。

それは、確固たる自分がない“大衆”だからこそ、それが塩とハバネロを
ダブルで自分の傷口にすり込むことだとはつゆ知らずついつい誰か
否定してしまうのだということを今学んできました。

そして否定されると嫌なのは、もちろん自分を否定されたら
単純に嫌だろうというのはあるのですが、それに加えて、
寄生虫を見ている嫌悪感があるからではないかと僕は思うのです。

他者の存在に「否定」という名の寄生をし、養分を吸い取っている、
そんなやつを見ている気持ちになるのではないでしょうか。

ただ単に、漠然と気持ちが悪いのではなく、ユニーク性を放棄し、
つまり人間の本質を冒涜し踏みにじり、他人に寄生して養分を吸い取る
“フリーライダー”を我々は人間として、本能的に嫌悪するのではないかなと。

フリーライダーが一定以上増えると共同体が崩壊します。

共同体を作らないと生きていけない僕ら人間は、本能的に、
そういう「危険分子」を嫌悪するようになっているのではないかと
思うのです。

都知事選、流行っているドラマ、そういうものから僕が感じるのは、
ここで述べたような

「寄生虫社会」
「フリーライダー社会」

です。

これはもう、歴史的に言えば共同体の崩壊の前兆以外ではありえず、
日本もそう遠くない未来に崩壊するのでしょう。

亡霊がよみがえるとき、社会は混乱し、壊れていくものです。

が、別に僕は日本という国がなくなるとは思っていません。

「今の」日本の在り方が崩壊するのであって、その先には
新しい日本があると思っています。

螺旋的な反動が今まさに起ころうとしているのだろうな、と。

「今は過渡期だ」と2年くらい前から言っていますが、
「寄生虫社会」とか「フリーライダー社会」という単語を
思い浮かべながら、まさに

「古い時代から新しい時代への移行」

が行われている、そう感じるのです。

寄生虫やフリーライダーは、あるいはマルクスが残した亡霊は、
古いものが壊れる前兆を知らせてくれる「良い知らせ」なのでは
ないかなと。

僕は、同時代を生きる一人の人間として素朴に現状は
憂いていますが、その先にある新しい時代の到来は
ポジティブに捉えています。

産みの苦しみを、今僕らは経験しているのだと、
理解しています。

そういう過渡期に何ができるのか、何をすべきなのか、
そんな話は、1番で配布している音声で話しています。

是非そういう観点から、聞いてみてください。

3.今年のセミナーのお知らせ。

実は、今年のセミナーの募集が、昨年Stay Goldセミナーを
受講して下さった方を中心に、始まっていたりします。

そっちの準備が大変すぎてメルマガを出すのが遅くなりましたが、
楽しみにしていてくださる方もいるようなので、
何とか、締め切り前に間に合いました。

申し込みの締め切りが24日と大変差し迫っていて
申し訳ないのですが、もしご興味ありましたら
ご参加いただければと思います。

セミナーの内容としては

http://www.masterclasstrilogy.com/neye/l_wu_i.pdf

に書きましたので、一読いただけると嬉しいです。

今確認したら、昨年Stay Goldセミナーの案内は
21ページでした。

今回はなんと35ページにもなっています。

そのうち、セミナーの説明は22ページから32ページの
たった10ページ程度なので、なんて言うか、これはもう
単なるレポートとして、まずは読んでいただきたいです。

印刷して、ペンを持って。

成功する為のマインドセットとか、自由とか、日本の行く末とか、
僕らが選ぶべき生き方とか、何かそういう話をしていたら、
ついつい手が止まらなくなって、この長さになってしまいました。

「とにかく考えさせないで、申込みボタンをクリックさせろ!」

というのが欧米型コピーライティングのセオリーなのですが、
大いに考え悩むようなことを書きました。

まずは勉強してください。

いや、間違えた、まずは申し込んでください、そのあと
じっくり勉強してください(笑)。

素直にまずは申し込んじゃう、という方は

https://55auto.biz/alchemy/touroku/wus_i.htm

からどうぞ。

念のため読んでから申し込みたいという慎重派の方は、
PDFの最後のページにもリンクがありますので、そちらからでも
ご連絡いただければと思います。

また、セミナーの内容について、新田君と対談を録りました。

http://d99whdn8z56lx.cloudfront.net/nk_s.mp3

今回のレポートをStay Goldセミナー受講者の皆さんに
公開した時、

「多分、新田君からメールくるだろうなあ」

と思っていたのですが、やはりもうその日のうちに
メールがきまして、

「木坂さん、セミナーの内容について対談録りましょう」

と。

きっと本音は「あんなレター書くとかふざけてんのか」
ということだと思うのですが(笑)、いずれにせよ、
予想通りメールが来て、予想通り対談になって、
予想通りいい音声になっていると思います。

是非聞いてみてくださいませ。

さらに、質問がたくさん来ましたので、Q&Aにして
答えました。

http://www.masterclasstrilogy.com/neye/wu_qa.pdf

僕のレポートや新田君との対談でも説明しきれていない
部分で、少なからずの方が気になったところを
書いていると思います。

ご参考まで。

これらによって受講コースを決めた、という場合は

https://55auto.biz/alchemy/touroku/wus_i.htm

ここからご連絡ください。

また、コースの変更もこのリンクからしていただければ
大丈夫です。

ではでは、今回はこの辺で。

何か質問や感想等あればこのメルマガに返信してください。

ありがとうございました!

木坂