〇〇さま

こんばんは、木坂です。

前回鼻血の話を書いて、次回に続く的な終わり方をしたのですが、
続きとして書いたものを読んでいると、どうにもこうにも
おもしろくなかったので、ちょっと保留して、今回はまた別の話を
したいと思います。

納得のいくものが書けたらまた送りますので、
それまでお待ちくださいませ。

鼻血を出しながら貧血気味にお待ちいただいていたとしたら、
本当にすいません。

ただまあ、鼻血的な話がなくなるだけで、テーマは一緒なのですが。

テーマ。

このメルマガを(ごく稀に)書いている意味というのは、
一人でも多くの人に成功してほしいと思っているからですが、
では成功とはなんであるかと言えば

「自分が生きたい自分の人生を生きることができる」

ということに他なりません。

自分が生きたい人生とはどういう人生なのか、その人生を
どうデザインしたらいいのか、それを生きるにはどうしたらいいのか、
そういう話を、手を変え品を変え、してきているつもりです。

じゃあ年に2回とか3回とかじゃなくてもっと書けよ、
という声が一部から聞こえてきそうですが、ひとまずその声は
聞こえないことにして、今日もまた手と品を変えた同じ話を
したいと思います。

今回は、前回のメルマガに対していただいた感想をきっかけにしての
記事が一つと、やはり前回のメルマガで書いた「就職の真実」の
続編のようなものをひとつ、書いてみたいと思います。

(鼻血に比べれば)そんなに抽象度は高くないと思いますので、
気軽に読んでみてください。

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目次

1.読者の感想から~美しさについて~

2.大学へ行くのは無駄か。

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1.読者の感想から~美しさについて~

「鼻血は瞬間の美だ」という唐突なテーゼに対して、
あとで登場する星野君という方が大変に示唆に富む感想を
送ってくれました。

あまり僕は読者の方からいただいたメールなどを紹介することは
しないのですが、「美」の話は人間としての成功に直結するので、
今回は一部を引用し、補足の意味も込めてコメントをつけたいと思います。

いただいたメールには、こう書かれていました。

「一方でふといた労働者や料理人が(男女関わらず)凄い美しかったりする。
100円もしない屋台の焼きそばを作るオッサンの動作が美しすぎて、
ずっと見入ってましたし、たまにそういう人が道端にいると嬉しかったりします。」

彼はこの時上海にいて、これはそこでの描写です。

この感想は「成功」について実に的を射た何かを捉えているなあと
個人的には思います。

実を言うと、同じ感想を、数年前にも持ちました。

当時、僕のセミナーにある業界の第一人者的な方が来てくれていて、
その方の書籍を読んだときのことです。

その書籍は、悪く言えば「よくあるタイプの実用書」では
あったのですが、本編の真ん中くらいでしょうか、

「いい仕事をする人はその仕事姿が美しい」

という趣旨の記述がありました。

この一文に、大変感心したのです。

僕よりもだいぶ人生経験が豊富な方の本に対して「感心した」とは
随分と大それた感想ですが、当時の僕は

「リアルタイムで出版される実用書に意味のある本はない」

と思っていましたので、自分の傲慢さを認める大事な
一撃になったことは間違いありません。

この書籍を書いた方と言うのは、おそらくその業界では
知らない人がいないくらい有名な方で、ある種の第一人者的な
位置におられる方なのですが、そして僕が人生で唯一、
雑誌の対談を見開きで計10ページも受けた方なのですが、

「“美しさ”という観点から堂々と成功を語るのは新しいな」

と感銘を受けました。

もっと正直に言うと、自分以外にもそんな観点から
さらっと語る人がいたのだな、という「やや傲慢」な
視点からの感想だったのではあるわけですが。

それでも僕のように自分で企画したセミナーで美しさを語るのと、
一般に販売する書籍で美しさを語るのとでは、若干意味が
異なるような気がして、感心したのです

何かを突き詰めていくと、そこには必ず「美しさ」が現れる。

これは数千年前から洋の東西を問わず言われ続けてきたことであり
僕自身も強くそう感じます。

先の「いい仕事をする人」とは若干捉え所がなく感じるかもしれませんが、
それはまさに15年くらい前に流行った

「いい仕事してますねぇ」

と言う時の「いい仕事」であり、ものすごく簡潔に言い換えれば

「何かが成功している」

ということだと僕は理解しています。

なので、「いい仕事をする人」とは端的にそのジャンルで
成功している人のことですね。

つまり、

成功と美しさとは、イコールで結ばれる関係にある
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ということなのです。

僕らは、美しさとは何か、善とは何か、みたいなものを
言葉で明確に定義することはできません。

歴史上の天才たちも、できませんでした。

それはおそらく定義すべきものでもないのだと個人的には思いますが、
しかし不思議なことに、美とか善とかを感じることは、親からも
学校の先生からも習ったことがないのに、できるのです。

その不思議に少しでも接近するために以前カントの「判断力批判」
読解する講座を開いたことがありますが、理由はなんにせよ、
僕らにはなぜかそういうものを認識する力が生まれながらに備わっている。

たとえば僕は昔、ライティングのセミナーか何かで
いいレターは「売れるレター」ではない、という話をしました。

そうではなく、いいレターとは、本質的な意味で
「美しいレター」である、と。

これは昨年末に行ったマネタイズセミナーでも言及したことだと
思います。

いいレターは、時に読んだ人が涙します(実際僕が書いた
大百科のレターで涙した人が何人かいます)。

セールスのレターなんか読んで泣くわけがないと思うかもしれませんが、
そういう力が、「いいレター」にはあるのです。

世の中には、謎のテンプレートなどを使うことが「いいレター」
すなわち「売れるレター」を書く近道だと信じている人が
少なくないようですが、これは表面的には正しい部分もあるとは言え、
残念ながら根本的に間違っています。

定義にもよるのですが、「売れるレター」というものが
問題集の答えのようにどこかに客観的に存在しているのではなく、
実際には

「美しいレターはなぜか売れる」

という結果としての感覚だけが存在します。

星野君が見た焼きそば屋のオッサンのように、その美しさだけで、
なぜか人がひきつけられてしまう。

しかしそれではあまりにもアレなので、僕のような人間が、
必死になって言語化し、パターン化し、体系化し、多くの人にとって
理解可能で、実践可能な形にして、提示する必要があるわけです。

こういう作業を長年してきて思うのは、最大の問題は、何と言っても
「美しさとはなんであるか」がきちんと定義できないところだな、
ということです。

美しさが定義できれば、それこそテンプレート化できます。

100人が100人正解にたどり着ける。

それが「定義」だからです。

僕自身そんなものが作れたら大変重宝します。

心身を削って、文字通り時に体調を崩しながら、文章を書く必要など
なくなるのですから。

しかし「美」などというものは、「成功」などというものは、
あるいは「いい仕事」などというものは、本来的に定義が不可能なのです。

これの何が問題なのか。

もちろん「テンプレートが作れない」という、実務的な問題はありますが、
それ以外に本質的な問題が2つあります。

ひとつには、そもそも美しさとはなんであるかを感じ取る感性の鈍い
人間がそれを教えるようなコンテンツを作ったりしてしまうと、
目も当てられないような残念なものが出来上がってしまう、ということです。

僕の、率直な感想を言わせていただくと、世の中に出回る書籍や情報商材、
あるいはそれ的なセミナーなどの多くは、現状無益なばかりか有害であると
感じています。

その理由が、ここにあるわけです。

つまり、それらを生み出した人たちが、お世辞にも美を感じる力があるとは、
思えない。

確かに直接会ったわけではないので5%くらいは僕の直感が
はずれている可能性はありますが、さすがに1万人近くの人を見てくると、
世界的な聖人レベルの人から人間のゴミレベルの人まで見てくると
直接会わなくても大体その人の人となりが透けて見えてしまうものなのです。

写真からでもわかりますし、動画でももちろんわかりますし、
文章でもわかります。

ネットには幸か不幸かそのすべてがセットでありますので、
よほどのことがない限り、僕の感覚は外れていないと思うのです。

そして本当の悲劇は、その先です。

つまり、そういうおそらくは美しくない(=本当には成功していない)
人たちが生み出したものを、まんまと購入してしまう人が少なからず
いるということです。

こういうものを購入して学んで信じてしまった人は、残念ながら、
しかし当然ながら、成功からものすごく遠ざかってしまいます。

高いお金を払って成功から遠のいているので本来なら
大変な事態のはずなのですが、案外そのことは認識されません。

みんなあまりにも「気軽に」毒されています。

これが一つ目の問題です。

もう一つ決定的なのは、

もしかしたらあなたにはもう成功する資質がないかもしれない
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

という、とても残酷な、しかし無視することのできない現実です。

それは

「詐欺師に騙された!」

などというその詐欺師とやらと同程度に下らない話ですらなく、
そもそも自分の問題として、成功する資質を自ら捨てつつある、
という13日の金曜日的な話なのです。

感性も肉体や脳ミソと同じで、正しく使わなければ錆びつき、
朽ち果てていきます。

朽ち果ててしまうと、ゴミみたいな本や情報商材やセミナーを
見抜くことができなくなり、悪臭漂う人間を見抜けなくなり、
ドンドンと「醜悪スパイラル」にハマりこみ、成功から見事に
遠ざかってしまうことに、ほとんどの人は気が付いていません。

いい情報商材を見抜く秘訣、いい書籍を見抜く秘訣、いいセミナーを
見抜く秘訣は、実は簡単です。

著者(講師、販売者など)が美しいかどうか
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

を判断すればよい。

ただそれだけなのです。

ガンジーの言を引くまでもなく、

「善きことを成すには善き手段でなければならない」

のであって、美しいこと(=成功)は美しい人にしか成せない。

例えば、

毎日コピペを数分するだけで月収1000万円軽く超えちゃいまいた、
必死に働くのがバカみたいです、あなたもこっちの世界に来ませんか、
20万円僕にくれたら道案内しますよ、ちなみにアップセルで50万円と
100万円がありますけどどちらも買ってくださいね、そうしないと
道案内できないかもしれませんから」

ということを言っている人が、果たして「美しい」可能性はどのくらい
あるでしょう。

こういう世界が実際にあったらなんて楽に贅沢な暮らしができるだろう、
今のこの苦しい生活から抜け出せるだろう、という一種の「魅惑」
感じることそれ自体は否定しません。

僕だって、感じないわけじゃない。

だけど、人間としての真価が問われるのは、それを感じた後だと
僕は思うのです。

つまり、どうやってその「誘惑」に打ち克つことができるのか、と。

数分コピペの世界に美を感じることは自由なのですが、あえて言えば、
そこに美を感じるその感性はどこかが腐敗していると思います。

だから、そういう人の多くは何も成せないのです。

こんな簡単なことなのですが、多くの人は永遠に気が付かず、
成仏できない(=本当に行くべき場所が分からない)地縛霊のように
情報の海を彷徨い続け、気が付いたら友達も家族もお金も自分自身も、
すべて失っている。

アフィリエイトで一発逆転を狙って必死に頑張ったけど、
残ったのはカスみたいなメルマガやゴミ以下の大量のペラサイト。

転売ビジネスで一獲千金を狙って死に物狂いで取り組んだけど、
残ったのは誰もほしがらないガラクタの山。

それらを前にふと我に返った時が、本当の地獄でしょう。

ですが、これが生々しい現実なのです。

「本物を見抜きたければ本物に触れること」

「成功者になりたければ成功者に触れること」

とよく言われますが、これと同じことが美にも言えると思います。

つまり

「美しさを認識したければ、美しいものに触れること」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

と。

汚いものに触れていたら、当然自分も汚くなっていくのです。

汚くなれば、成功(=美)からは遠ざかる。

だから、たとえ100億円稼いでいても、その人が「美しくない」人と
感じるならば、決して近づいてはいけない。

自分の感性は、自分の成功の資質は、自分で守るしかないのです。

世の中には、稼いだ金額、ナンパに成功した人数、住んでる家の広さ、
あたかもそういう「数字」で人を推し量るのが「科学的だ」ということを
信じさせようとする人たちがいるようですが、数字では、その人の
本当の意味での価値は計れません。

「あなたの子供の価値は、偏差値で決まります、それが全てです」

と言われたら、ムッとするでしょう?

当たり前のことです。

子供の価値は、そんなくだらない数字では計れない。

数字が理解できることと、数字で物事を計ることの間には、
天と地ほどの開きがあるのです。

もちろん、偏差値しか取り柄がない人は、偏差値が全てだと、
どうしても言いたくなるのでしょうけれど。

そういう意味では、そういう風に叫んでいる人というのは、

「私は他に見るべきものがない人間なんです」

と自ら叫んでいるのですから、実はとても可哀想な人なのです。

そう思うと、彼らを少しだけ生温かい目で見られるようになる気がします。

最近では僕はダイレクトにビジネスっぽい話を
あまりしなくなりましたが、数年前そういう話をメインに
していた時から、

「美しく稼ぐべきだ」

ということを一貫して主張していました。

63万円のコピーライティングセミナーを行った時、
その題材で使った僕のレターのうちの1枚は、多くの人から
「美しい」と言われたものでした(ちなみに言うとそのレターの
成約率は75%以上です)。

その「美しく稼ぐ」「美しく成功する」というものを
少しでも伝えられればと思い、和佐君とICCを行い、
ネットビジネス大百科をリリースし、自分でも20以上の
セミナーを企画し行ってきましたが、回を重ねるごとに
レベルが上がり、受講者が限定されてきてしまい、今では

「木坂は地下に潜った」

などと言われるまでになってしまいました。

その「地下」は大変に意識の高い人だけが集い、僕としても
可能性を感じることができ、居心地がよかったのですが、
結果として、久しぶりに「地上」に出てみて見たこの業界は、
とても美しくない人たちが、大手を振って活動する世界に
逆戻りしてしまっていた。

北斗の拳って、現実になったのかなあ、と。

僕が「美しさ」にこだわってきたのは、美学でもなんでもないですし、
哲学的な理由があるとか宗教的な理由があるとかそういうことでも
全くなくて、単純に

「それが成功の真実だから」

というだけなのです。

全ての理由は、極論すれば後付けです。

僕は僕の信じる成功への最短経路を常にお話ししてきたつもりですし、
幸いにも少なからずの受講生の方が、驚くような結果を出してきました。

本を出したとか、テレビに出たとか、何千万円稼いだとか、
そういう俗物的なレベルなど超越してしまった人たちもいます。

そして僕の活動自体も、「業界」というくくりで比較してみたら、
なんだか随分と毛色の違うものになってしまいました。

毛色が違うというか、あえて業界の慣行に従って
「美しくない」言い方をすれば、

「彼等とはそもそも次元が異なる」

ということになるでしょうか。

念のために言いますが、僕の次元が高いんじゃないですよ、
彼らの次元が地を這っているというだけで。

いずれにしても、違和感のぬぐえない、残念な業界に
なってしまっていることだけは、確かなように思います。

そう言えば、余談になりますが、この話を書いていたら
思い出したことがあります。

先日、久々にライトなエッセイ、「高倉健インタヴューズ」という
本を読みましたが、そこに僕の興味を引く高倉健の発言がありました。

仕事をあまり受けないのはどうしてかという質問に対しての
答えだったと思いますが、曰く、

「魚釣りみたいに餌をポンと浮かべてただ流れを待つのではなく、
ビジネスとして積極的にポイントポイントを調べて、それにあった針を使い、
餌を使い、一番いい季節を選ぶというやり方は、商売として絶対にあると思う」

と。

要は、来る者拒まず、当たれば儲けもの、ではなくて
初めから自分の理想を決め打ちで狙ってもいいんじゃないか、という
ことですね。

こういうことを94年の段階で言っていた高倉健は、個人的に天才的な
ビジネスマンと言えると思います。

実際に、彼はこのスタイルを今でも通し、最近では4~5年に
1回しか仕事を受けないことで有名です。

その間も、常に肉体を管理し、演技を学び、いつでも撮影に入れる
準備は当然しているわけで、それでこの頻度は、逆にすごいプロ魂としか
言いようがないと、ただひたすら感心するばかりでした。

彼は

「待っているときはとても苦しい、ポンポン仕事を受ければ
どれだけ楽なのだろうと思う」

と言っています。

これは、かっこつけてるわけでも、驕ってるわけでもなく、
本音だと思います。

で、重要なのがここからで、彼はこういう仕事の受け方について、
効率的では全くないということを自覚しながら、しかしなぜそのスタイルに
こだわるのかと聞かれ、こう答えるのです。

「まずい餌の取り方をすると、姿が悪くなる」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

と。

ライオンとハイエナ、どちらの姿勢が悪いですか、一目瞭然でしょう、と。

要は、食えれば何でもいいんだ、どんどん食っちまえ、という動物は、
姿勢が悪くなり、見た目からも品格や余裕のようなものが消え、
生き方が下卑たものになり、そしてその肉そのものが臭くなっていく。

それは人間でも同じではないか、というわけです。

これを読んだとき、まさにその通り、と心の中で小さくガッツポーズを
しました。

どのくらいの人がこの記述に感銘を受けてくれるかはわかりませんが、
少なくとも僕が同じことを言うより、高倉健が言った方が、一般への
訴求力はあると思うので、ついつい、ガッツポーズです。

僕のメルマガをずっと読み、セミナーに来てくれている人たちは、
僕のビジネスのスタイルがまさにこのスタイルであることは
よくわかってくれると思います。

でなければ、メルマガを毎日出し、「それなりの」セミナーを
乱発し、適当に情報商材を作って出し、時々他人の情報商材や
セミナーなどのアフィリエイトを混ぜて売り上げを最大化していくような、
「王道」と言われるスタイルにするのが合理的だからです。

でも、そうではなく、僕はこういう美しくないやり方じゃなくても、
圧倒的な結果を出せることを、自分のやり方として証明したい。

だから、10年近く、一貫してこのスタイルなのです。

「ほら、こういうやり方の方が、人生楽しそうでしょう?」

ということをずっと身を持って見せ続けている(つもりな)のです。

このように、僕自身は男は黙ってサッポロビール、大事なことは
背中で語ればいいのだと、どこかで思っている節がありますが、
さすがに高倉健ほどの背中の説得力は皆無ですから、今日から
さらにデッドリフトで追い込まなければなりませんね。

閑話休題。

さて、この高倉-木坂理論を踏まえると、なぜネットでたくさんのお金を
稼いでいるらしい人たちが悪趣味に見えるのか、よくわかります。

確かにすごいのかもしれないけど、ああはなりたくないなあ、と
なぜか思ってしまう、その理由が。

彼らは単に、ロクでもない仕事の仕方をしているから。

ただそれだけです。

彼らをハイエナと言ってしまったら、ハイエナが可哀想でしょうか。

一般に思われているのと違い、一部のハイエナはきちんと自分よりも
強い動物を自らリスクを取って狩りに行きます。

しかし驚くべきことに、ここネットビジネスの世界では

「バカと初心者を相手にすれば儲かる」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ということが、あまりにも堂々と「ノウハウ」として教えられ、
そして実践されています。

要するに、自分よりも弱いものから巻き上げればそれでいいじゃない、
それが一番楽なんだから、ということです。

自分は一切のリスクを取らずにリスクの重要性を語り、
バカを選んでいるのは自分なのに「バカは起業するな」とか言うわけですが、
その発言に一切の説得力を感じないのは、僕だけなのでしょうか。

誤解しないでほしいのですが、僕がここで問題にしているのは
純粋な意味での実力ではなく、やり方・動機の方です。

極端な話、善なる思いで実力がないのは仕方ないと思います。

それは努力すればいいのだから。

いつの日か、思いに実力がついてくるでしょう。

問題なのは、実力も思いもないケースです。

そういう人が、あまりにも多過ぎませんか、この世界、と。

僕は、イチローは美しいから打てるのだと確信しています。

彼が行ってきた全ての努力、全ての思考、そしてすべての失敗と成功が、
彼の美しさを支え、彼に結果をもたらせています。

高倉健も同様に、美しいから、映画がヒットするし、今ではほとんど
死滅してしまった「本当の役者」であると思います。

また、彼らについてさらに見逃せないことがあります。

いや、彼らに限らず、世の中で「成功者」と呼ばれていたり、
「一流」と認識されていたりする人に共通のことです。

それは、

「自分に課すハードルの高さが尋常ではない」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ということ。

5年に1回しか仕事を受けなければ、

「あの高倉健が受けたのだから、120%素晴らしいはずだ」

と思われます。

毎年200本ヒットを打っていたら、今年も打って当然と思われる。

こういうハードルを「あえて」正面から受け止めていくところに、
その潔い美しさに、一流の一流たるゆえんがあるのだと、僕は思うのです。

自分より弱いものだけを集めて、言葉巧みに高額なものを買わせ、
セミナーでは質疑応答を拒否し、あるいはごまかし、気が付けば

「他力本願なバカが何を言ってるんだ」

とドロンしているような、そういう人たちが決して一流になれないのは、
決して成功者とは認められないのは、こういう根本的な「生き様」
醜悪だからに他なりません。

何も知らない老人を集めて100万円の羽毛布団を売りつけるのが
「ビジネスである」とは、僕は認めたくない。

僕は久々にこの業界を見渡してみて、非常に暗い気持ちになりました。

ここで見聞するのは、あまりにも

「打てるから美しく見えるんだ、打てば何だっていいんだ」

式の言説ばかりだからです。

であるならば、どんなに汚いことをしても、打った(売った)もんがエライ、
という全く醜い世界になってしまいます(実際にそう思っている人も
中にはいるようですが)。

まったく恐ろしい限りですが、そういう現在の状況がありますので、
この辺についても、久々に何かしらを言っておかなければならないなあと
思っています。

時間は、あるようでない。

正しい知識を持ち、正しい準備している人にとっては十分にあるし、
彷徨っている人にとっては全くありません。

次回以降のメルマガで少しずつ思うところを述べていこうと思います。

もちろん紙面は無限ではありませんから、「成功」ということに
関わる内容に絞ってお話しする予定です。

とりあえず今回覚えておいてほしい成功キーワードは、

「美しさ」

という3文字です。

これだけでも、随分見える世界が変わると思いますので。

2.大学へ行くのは無駄か。

前回のメルマガでは、就職というものについて

・仕事ではなく作業をもらいに行く
・給料をもらうのではなくみかじめ料を払いに行く

という二つの側面を解説いたしました。

結構共感のメールをいただいたので、調子に乗ってもう一つ、
大学というものについてその本質を語りたいと思います。

ちなみに僕は大学を2年間で中退しています(正確には1年休学したので、
3年間在籍したことにはなっていますが)。

つまり、僕個人としては

「大学に通っている意味は特にない」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

と結論付けたからそういう行動をとったわけです。

ですので、今回は「なぜ大学に通うのは無駄なのか」ということを
中心にお話しすることになります。

大学というものを考えた時に、

「どうして大学に行くのだろう?」

と真正面から考える高校生や中学生というのは、
そう多くないと思います。

実際、予備校で講師をしていた数年間で、そういう生徒に会ったことは
ありません。

いたとしても、何となく疑問に思ってもすぐに考えなかったことにして、
また受験勉強を再開する。

そんな感じでした。

みんな大学に行くのは「当然」という感じだったのです。

でも、理由は特にない。

僕自身は、大学の願書に志望動機を書く欄があって、そこに

「哲学をベースに据えた新しい世界平和理論の構築を研究したい」

という趣旨のことを書きましたし、実際にそれを成すために
もっともよいであろう大学を探し、受験し、入学しました。

僕にとって大学に行く目的は明確だったのです。

ところが、そういう明確な思いで大学に行く人は、
あまり多くありませんでした。

「みんな行くから」

そうね、君のクラスではみんな行くかもしれないね。

「親がとりあえず大学は出とけって言うから」

そうね、僕も言われたよでも辞めちゃったよ、辞めてよかったよ。

「就職で有利になるから」

そう言われてるけど、現実を知ると、そうでもないよ。

「新しい出会いがあるから」

それは中学でも高校でも言われたけど、学校以外に出会いはないのかな。

「サークルがやってみたいから」

サークルをやるのに4年間と400万円をかけるなんて、裕福だね。

確かに、医者になりたいとか、薬剤師になりたいとか、
特殊な思いがあって行く人はいるでしょう。

そういう人は、その道を邁進すればいいと思います。

でもそんな人は、全体から見たら1%くらいのごく少数で、
ほとんどの人は別段目的もなく大学に行くのです。

大学というのは、ビジネス的な観点から見れば

単なる「学位」の独占企業
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

にすぎません。

国家権力によってその独占を認められ、「お墨付き」を
もらっているというだけで、僕らはその「学位」という資格を
4年間と400万円というコストを投資して「買いに行く」のです。

壮大な「はじめてのおつかい」です。

もっと言えば、高校3年生の1年間と、受験のための予備校の費用、
それに受験料とか、場合によっては殺伐としてくる家族関係とか、
病んでくる精神とか、そういう諸々のコストがドンとかかっています。

そしてその多大なコストを投資して得られた学位という「資格」は、
これからの時代を生き抜く力とは何ら関係がありません。

そう考えた時に、果たして大学にそれだけのコストをかける意味が、
そして価値があるのかどうか、と。

大学の意味や価値について分析した研究は、大体その機能を
二種類に分けて論じる傾向にあります。

ひとつは、人的資本の価値を上げているという説です。

要は、

大学に通ってサークル出たりお勉強したりゼミに参加したりして、
人間として成長できるじゃない」

ということです。

ただこれについてはほとんどの研究者が反対していますし、
実際に僕らが通った経験からも、そんなことはない、と自信を持って
言える気がしますよね。

こと日本の大学は、バカになることはあっても、人間として
成長することは稀だと思うのです。

もうひとつの説ですが、大学は単なるシグナリングとしてのみ
機能しているんじゃないか、という説です。

「シグナリング」とは聞きなれない概念かもしれないですが、
例えば初対面で会った人が

「僕は東大を首席で卒業しています」

と言ったら、とりあえずすんごい頭がいい人なのかなと、
思いますよね。

その人の何を知ってるわけでもないのに、それを聞いただけで、
そう感じてしまう。

これが「シグナリング」です。

「東大」という名前にはそれに特有のシグナルが、
逆に偏差値が底辺の大学にはそれはそれで特有のシグナルがあり、
それが「学歴社会」の土台にあります。

「学歴」が就職などに影響するのは、そういう各種のシグナルが
採用担当者に出されていて、それを受けて判断するからです。

この大学=シグナリング説については多くの研究者が賛同していて、
学歴社会を生きる僕らの感覚ともある程度一致することだと思います。

かつてホリエモンが

「東大は、入ることに意味がある」

と断言してましたが、今簡単に見たように、僕は大部分が
正しいと思います。

ホリエモンが言いたかったのは、もはや日本の大学には、
シグナリングの機能しかない、ということなのです。

さてこのシグナリングですが、僕がもう何年もずっと言っているように、
これからは人類総アーティストの時代、すなわち

超実力主義の時代
~~~~~~~~~~~~~^~~

になるわけですから、もはや必要がなくなります。

東大を出てても使えないやつは使えないですし、
淘汰されるやつは淘汰されます。

逆に僕のようにわずか2年で中退していても、
やることさえやり、為すことさえ為せば、例えば
自分の3倍くらい生きている、しかるべき業界の要人から
「先生」と呼ばれることができたりする。

今は、そしてこれからはより、そういう時代なのです。

その意味で、大学には行く必要がない、つまり大学進学は、
単なる機会損失になってしまったということが言えると思います。

人材育成もダメ、シグナルはもう必要ない、でも数年間と数百万円は
消費されるのですから。

なぜ、大学はこんなにダメになってしまったのか、という話は長くなるので、
またいつか機会があればさせていただきますが、代わりに(?)、
僕のセミナーに来てくれている二人の「一見」対照的な青年を
紹介しようと思います。

一人は、最近アフィリエイトの世界ではスーパースターに
なっていると和佐君から聞いたのですが、新田君という人です。

その彼から初めて相談されたことは

「京大の大学院を辞めるべきかどうか」
「就活をするべきかどうか」
「家をローンで買うべきかどうか」

などというある意味で微笑ましいことでした。

僕がどういうアドバイスをしたかは割愛しますが、
結果として彼は大学院を辞め、就活も辞めました。

もちろんローンも辞めたはずです(個人的には未確認ですが)。

世間一般的には(かつて僕も散々言われましたが)

「もったいない」

ことをしたわけです。

結果、今はネット界のスーパースターで、気ままに車で旅行をして、
多くの人の助けになり、サラリーマンの年収以上の月収がある。

果たして、「もったいない」ことをしていたのは、本当に新田君なのか、
それとも一流大学を普通に卒業して、大企業に入社して、
大きなローンを組んで小さな家を買った人なのでしょうか。

もう一人は、冒頭で登場した星野君という人です。

彼は、僕のセミナーに初めて来たときは大学生でした。

自分の唯一の財産である自転車を売って、大学の授業料を滞納して、
そのお金で僕のセミナーに来てくれました。

脳みそまで筋肉でできているような、まあ端的に言えば
バカなのですが、そんな男でした。

でも、いつもセミナーでは一番前に座り、バカげた質問を
連発して会場を白けさせてくれたナイスガイです。

その愛すべき彼は、今年から東京大学の大学院に通っています。

僕は、彼から東大の大学院に行こうと思うと言われた時、
確か止めなかったと記憶しています。

「行きたいなら行けばいいじゃない、たぶん行けるから」

的なリアクションだったと思うのですが、記憶違ってたら
星野君ごめん。

いずれにせよ、僕は「行くな」とは言わなかった。

新田君には「辞めた方がいいよ」的なことをやんわり
言ったような気がしているのですが(これも違ってたらごめん)、
星野君には、試験勉強の相談まで乗ったりしていました。

なぜ僕の対応が変わるのかと言えば、それは対応している人間が
異なるからに決まっていますが、ただ、この二人は、先ほど
「一見」対照的と言った通り、結果としてその本質は

「同じ方向に進んでいる」

と僕は理解しています。

つまり、

自分の足でちゃんと歩いていく人生に
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

向かっていると思うのです。

星野君の方が明らかにバカなので、毎回セミナーにとんでもない話を
持ってきますが、それでも二人とも自分の足で歩き始めている感がある。

僕がセミナーやメルマガを通じて伝えたいのはこの

「自分の人生くらい、自分の足で完走しろよ」

ということだけなので、大変うれしく見ています。

そして彼らは、きっとこの先世の中と時代がどう変化しても、
多くの「優秀な」人が溺死していく中、自分の力で生き延びていけると、
僕は思うのです。

その力を、身に着けていっているから。

そんな二人を見ていると、「大学」などというものは、
本質的な実力とはやはりなんの関係もないんだな、
ということが強く感じられます。

星野君は大学に入りましたが、実際には大学の限界を知りながら
入っているので、事実上大学院生っぽくありません。

雑誌の表紙を飾るような有名なアイドルのトレーナーとかの仕事を
勝手に見つけてきたり、この時期に月に4回くらい中国に行って日本の
オタク文化を一大ムーブメントにしようとガチャガチャ画策したり
アメリカでアラブの大富豪と友達になってタダで旅行してきたり、
じゃあなんで大学院なんか行ったんですかと多くの人は思うような
生き方なのですが、彼には彼の考えがあって、大学院入学を決めています。

この

「いろんなリスクや限界を知った上で、自分で主体的に決めている」
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ということが、何よりも重要なのです。

この力を養うこと、と簡単に言いましたが実際は大変に努力を
伴う作業にはなりますが、いずれにしてもこの力を養うことが、
これからの時代を生き抜く上でまず重要になります。

そしてそれに対して、大学は無力であるばかりか、
有害ですら、あるのです。

だから僕は、一般的に大学などには行く必要はないと、
今は思っています。

もしお子様などいらっしゃいましたら、何か参考にして
いただければ。

お子様関係なくても、これからの時代の生き方として重要な指針を
(ぼんやりと)述べたつもりですので、何かしら盗み取っていただければ、
これ幸いでございます。

ではでは、今回はこの辺で。

今回は30キロバイトかー。

ちょっと考えないといかんなあ・・・。

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ありがとうございました!

木坂