〇〇さま

こんばんは、木坂です。

先日某テレビの電話取材を受けました。

ワイドショーでよくある電話出演などではなく純粋な
「ご意見聞き」でしたので少しばかり答えましたが、
驚いたのが

「違法ダウンロード厳罰化について、何か面白い話などあれば・・・」

と切り出されたことです。

「何か面白い話」って。

結構真面目な経済番組だったのですが、まあ、今や
テレビというのはよくてもこんなもんなんでしょうね。

テレビを見なくなってもう何年経つかわかりませんが、
二度と見ることもないような気がした瞬間でした。

こう見えて、昔は結構テレビっ子だったんですけど、
なかなかどうして寂しいものです。

さて、今回はあまりにも久しぶりなのではじめましての方も
たくさんいると思うのですが、そんなことはお構いなしに

「成功と鼻血」

という日本人なら誰もが興味津々であろう話をしていきたいと
思います。

初めて僕のメルマガを読む人は

「こいつは何をイキナリ鼻血について熱く語っているんだ」

と思うかもしれませんが、最後まで読めば意味が分かるはずなので、
是非途中で投げ出さずに読み切ってほしいと思います。

あ、前から読んでいる人は分かっていると思いますが、
「である調」と「ですます調」は記事によって気分で
使い分けてます。

好き嫌いはあると思いますが、僕は内容によって
しっくりくる方で書いているだけなので、あまり気にせず
読んでいただければ。

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目次

1.成功と鼻血。

2.就職についての致命的な勘違い。

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1.成功と鼻血。

世の中には、ものを持ち上げるだけで鼻血を出す希有な人種がいる。

それがパワーリフターだ。

彼らは、重たいバーベルを持ち上げたい気持ちが強すぎて、
時として本当に鼻血を出している。

つまりウェイトリフティングというのは、肉団子みたいな大男が、
目玉が飛び出るかのような形相で、鼻にティッシュを突っ込み、
400キロ以上を持ち上げる、この世のものとは思えない美しさを持った
芸術であると言うことができる。

もちろん、想像している通り、到底市民権を得られる競技ではない。

美しくシェイプされた男女が優雅に氷上を舞うフィギュアスケート
などとは似ても似つかない。

一民間人としてウエイトトレーニングを趣味にしている程度の僕でさえ、
ジムではおばちゃんたちから白い目線を投げかけられる。

ここ日本では、一定以上の重さを持ち上げる一定以上体格の大きい人間は、
差別の対象になるらしい。

5軒に1軒くらい、勝手に食事を大盛りにしてくれる店がある。

デザートのアイスが隣の客の倍になっていたりする。

僕の風貌を見て半ば自動的にそうしてくれたのだろう。

気持ちはたまらなく嬉しい。

だけど僕はこう見えて胃腸が繊細で、結構小食なんだヨ。

そんな僕の深イイ話はともかくとして、美しさからは対局にあると
感じる人が多いであろうこのウェイトリフティング、僕個人的には
美しさそのものであると感じる。

もちろんそこには世間に対する天邪鬼な気持ちがないわけではないが、
もう少しちゃんといろんなことを、人並みに考えてのことだ。

見た目で判断している人にはわからないだろうが、ウェイトリフティングには
「人間」としての美しさがある。

オリンピックをみて多くの人が涙した、それと同じ理由だと言えば
わかってもらえるだろうか。

一言で言うならば、瞬間の美だ。

その一瞬に一人の人間が花開いているからこそ、人は全くの他人事にも関わらず
テレビの前で大声を上げ、涙を流すのである。

ハイデガーに影響されていることを暗に告白するようで少しだけ
気恥ずかしいが、「人間」とは瞬間瞬間で完結するものであり、
それゆえ瞬間の美とは、そのまま人間の美になる。

世界記録が出た瞬間、数十年ぶりにメダルを獲ったその瞬間、
一見感動の瞬間はまさにその一瞬なのだが、その一瞬のために、
選手は我々には想像もつかないような献身的な努力を日夜している

その努力の結果の、成功なのだ。

そういう膨大な背景が(見えないとは言え)その一瞬に凝縮して
感じられるから、僕らはなぜか感動する。

そしてその一人の人間の「成功物語」の象徴が最初に言った鼻血であり、
その意味で成功と鼻血の間には蜜月の関係がある。

そこで今日は鼻血について考察してみたい。

思わず成功の話がメインになってしまうかもしれないが、あくまでも
僕の気持ちは常に鼻血とともにあることは忘れないようにしながら
読んでもらえるととてもうれしい。

ところで、我々はいったいどんな時に鼻血を出すという現実に
直面するのだろうか?

まずはこの質問に答えるべく、鼻血が出る状況について
具体的に考察していきたいと思う。

僕の度重なる分析と研究の結果によれば、鼻血が出るのは
大きく分けて3パターンに分類される。

1.物理的破壊
2.興奮
3.顔面の圧力上昇

の3パターンだ。

1は説明不要だろう。

もちろん何らかの理由で自分もしくは他人の指が一定以上の出力で
鼻の穴に突っ込まれた場合や、ボールや電柱などが当たった場合などが該当する。

つまり、日々自分の鼻の穴の状況についてモニターを欠かさない
我々にとって本質的に興味深くはあるが、しかしここでは全くもって
どうでもいいものだ。

今、重要なのは2と3である。

2の場合は何かスゴいものを目にしてテンションが不自然なほどに
上がってしまった場合や、頭の中で展開される妄想が素敵すぎて
知らず知らず血圧が上がりすぎてしまった場合、あるいは明日の
木坂セミナーが楽しみすぎて三日三晩眠れない日々を過ごした場合などが
該当するだろう。

ちなみに僕のセミナーで鼻血を出したという報告は
僕が記憶している限り受けていないが、失禁したという報告は
受けている。

セミナーの内容が圧倒的だったのか、僕の恐怖が圧倒的だったのか、
詳細はあえて聞かなかったが。

3は、単純に力み過ぎだ。

一見もっともトリビアルで、取るに足らないように見えるこの理由。

「単純に」と書いたが、この言葉にだまされてはいけない。

実際に力みすぎてみればわかるが、便秘が一週間続いていたとしても、
よほど鼻の粘膜が弱い人を除いて、鼻血が出るほど力むことは容易ではない。

出産の場合に力みすぎて鼻血が出たという話すら聞かない。

つまり、力んで鼻血を出すというのは、論理的には可能なのだが、
極めて実現可能性の乏しいことなのだ。

だから、何かアルマゲドン級に凄まじいことが起こらない限り、
そんなに力むことは我々にはできないと言うことができる。

冒頭の話に戻ろう。

なぜ鼻血が美しいのか。

それは「瞬間の美」であると言ったが、つまるところ、鼻血が出るほど
その瞬間を追い込めるのかどうかということに凝縮できるからだ。

バーベルを持ち上げて鼻血を出すためには、必要条件として
鼻血が出るほど興奮し、鼻血が出るほど力んでいなければならない。

うっかりバーベルが鼻に当たっちゃった、などという裏ワザは禁止だ。

というか敵は400キロ以上のバーベルなのだから、
それは「うっかり鼻血」などという軽微な事態では済まない。

そう考えると、やはり過度の興奮と力みが必要になる。

この二つの条件を満たすような状況、それはまさに「開花」しかないのであり、
アリストテレスの言葉を借りればそれこそが「エネルゲイア」なのである。

その瞬間に

「あいつバカじゃねえの」

と周りから嘲笑されつつ陰口叩かれてしまうほどに自分の全存在を
掛けることができて初めて、鼻血というものが噴出する。

赤ちゃんを真剣に分析し、ひたすら赤ちゃんの動きを真似ている室伏は、
ただのバカ以外の何物でもない。

室伏を知らない人が、床に転がってバブバブやっている彼を見たら、
超絶気持ち悪い光景だろう。

「あの熊みたいな大男はきっとバーベルで頭を打ったか何かして、
幼児退行現象によってあんなことをしているんだ、かわいそうに・・・」

と同情されるかもしれない。

でも、だからこそ彼は世界屈指のアスリートなのだ。

自分が持っている気持ちとか、経験とか、スキルとか、
そういうものをその一瞬にグッと凝縮して、世界に対して
爆発させていく。

その驚くべきエネルギーを受け取った我々はしばし圧倒され、
なぜだかわからないまま、感涙にむせぶのである。

「鼻血」と「その人の開花」は、その意味で同義語であると言える。

その意味で、鼻血は成功の象徴であると言うことができると、僕は思う。

一人の人間が、人間として「開花」すること、それに勝る感動はなく、
それに勝る美しさもなく、そしてそれに勝る成功もない。

「成功したければ鼻血を出せ」というのは、そういう意味での
メタファーである。

これまでも何年も言い続けてきていることだけど、自分を開花させること、
そういう体験なしに、これからの成功は語れない。

僕の場合を話そう。

僕は重さで言えば、200キロ程度が自分の限界だと思っているし、
実際にチャレンジしてみてもそれ以上の重さは挙がらない。

ところが、その限界である200キロを扱って鼻血を出したこともないし、
肉離れを起こしたこともないし、腱の断裂などの怪我をしたこともない。

僕が最後に鼻血を出したのはおそらく学生時代にラグビーでタックルを
したときだが、それは残念なことに「物理的破壊」である。

つまり、僕は今までの人生で、ここで述べてきたような崇高な鼻血を
出したことがないのだ。

これは、そんなに瞬間を追い込むことができていない証拠である。

もちろん怪我をするようではむしろダメなのだが、そうはいっても
自分の限界を知り、その限界を超えるためにトレーニングをしているのだから、
これでは甘いのではないかという思いが常につきまとう。

つまりこういうことだ。

人間には「真の」限界と心理的限界との二種類の限界があり、
僕がバーベルを挙げるたびに限界と感じているもの、それは真の限界ではなく、
単なる心理的限界なのではないか、と。

心理的限界。

こいつは随分手前にあるものだなあと高校生の頃から感じていたが
今でもそれは変わっていない。

だとしたならば、僕が「これ以上は挙らないな」と判断している
その瞬間に訪れているもの、それはまさしくこの心理的限界なのではなかろうか。

僕が到達したい真の限界は、まだ遥か向こうにあるのではないだろうか。

学生の頃を思い出してほしい。

テストで100点を狙って、実際に100点が取れただろうか。

おそらくほとんどの場合、100点を狙って、やっと平均点を超えるくらい
だったのではないかと推測する。

もちろん僕だけが極端にバカだった可能性も残されているから断言はしないが、
あまり信じたい現実ではないので、きっとほとんどの人はそうだということにしておく。

テストは100点を狙うと、100点が取れないものなのである。

この事実は、目標を設定してそこを目指して一生懸命努力して、
でも叶わない人の存在をうまいこと説明してくれる。

巷の成功哲学が自らを潤わせる依存ビジネスのために
ひた隠しにしている真理はいくつかあるが、
そのうちの一つを今ここで暴露しよう。

普通の人間というのは、

目標を目指したら、そこには到達しないようにできているのだ。
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その当たり前に経験してきたはずの事実に正面から向き合った人、
そういう人から成功への階段を上り始めることができるようになる

つまり、常軌を逸した努力をしだすのである。

100点を狙って平均点だったその日から、3倍くらい勉強する。

そのくらい努力してようやく100点に近づける。

これは極めて重要な成功法則だ。

「人の3倍努力しよう」ということはよく聞くかもしれないが、
実際に重要なのは

目標に向かう素直な努力ではその目標は達成できないようにできている」

という悲しい現実の方だ。

この事実認識なくして、「3倍努力しよう」などとは
単なるスローガン以上でも以下でもない、空虚な言説である。

時折、僕みたいなレターが書けないとか、知識が増えないとか、
筋肉が増えないとか、本が読めないとか、アイディアが出ないとか、
その手の悩みをいろいろ聞くが、実は解決策は簡単だ。

今述べてきた理屈に従えば、僕の三倍やれば僕くらいになれる、
ということがかなりの確率で断言することができる。

「イヤイヤそんなの無理でしょう」と思う人もいるのかもしれないが、
大丈夫、僕自身他人の三倍くらいしかやってないので、周りにいる人の
九倍やるだけで僕くらいにはなれるということだ。

これは簡単に思えないだろうか。

例えば、今日本人は平均で毎日10分ほど、読書をするらしい。

これはタイプミスではない。

1日約10分、それも漫画などを含めて、の読書時間だ。

これの9倍だから、たった90分。

毎日90分の読書は木坂に通ず。

通じたいかどうかはともかくとして、とにかく通じているのだ。

このメルマガを読んでいるくらいの人にとっては、

ものすごく簡単なことなんじゃないだろうか。

「毎日」というのは習慣にしないとどんなに些細なことでもそれなりに
難しいのだけど、それでも人生のうち一年くらい頑張ってみる価値は
あると思う。

毎日90分の読書。

僕はビジネス書、小説、漫画、自己啓発などそういう類いの本は
読書時間に入れていないけれど、そんな細かいことは抜きにして、
とにかく90分、やってみてほしい。

さらにその2倍の180分を確保して万全を期してもらっても
もちろんかまわない。

あっという間に木坂越えである。

越えるのが木坂なら、山も燃えない。

いいことばかりではないか。

さて、鼻血と成功の基本について学んだところで、
この話も更なる発展を見せたいと思う。

更なる発展というくらいだから容量がかなりのバイト数になり、
僕が勝手に課している「1メルマガ20キロバイト以内ルール」に抵触するので、
これはまた次回。

成功者に共通する唯一の特徴などについて明らかになるので、
鼻血を出しながら心待ちにしていてもらえると嬉しい。

2.就職についての致命的な勘違い。

僕のメルマガをどのくらいの年齢層の人が主に読んでくれているの
確かなことは分からないけれど、セミナーに来てくれる人たちの顔ぶれを
見ていると何となくメインとなる読者が分かるような気がします。

多くは20代~40代で、下は学生から上は高校生のパパやママ。

そこで、このくらいの層がダイレクトに関係する「就職」という
ことについて簡単にお話ししたいと思います。

と言いつつ、

1.直接的に就職の真実について学びたい
2.「きれいごと抜き」の企業の真実について学びたい
3.世の中の見方を訓練したい

という3つの人種に特に役立つ記事だと思いますので、
実際は(毎度同じく)全国民に関係する話なのですが。

「就職」の危険性についてはもう去年くらいから直接的に
何度も手を変え品を変え、数々の例を示しながら論証してきているので
今更話すこともないかと思うのだけど、それでも実際問題就職をする人は
少なからずいるだろうと思います。

就職すること、それは「悪」ではなく「危険」なのだということを
僕は言い続けているだけだから、それを知りながら就職するのは
完全な自由と言えるでしょう。

だから僕は止めもしないし非難もしないのですが、しかし実際に
そういう人たちの話を聞いていると、多くの人が根本的かつ致命的な
勘違いをしているように思われるので、ここでその誤りを正しておこうと
思い、この記事を書いているというわけです。

同じ就職をするのでも、正しい認識の上で就職するのと、
誤解の上で就職するのとでは、数年後に雲泥の差になると思いますので。

さて、単刀直入ですが、「就職」とはなんでしょうか?

多くの人は

「会社からお給料をもらいながら、与えられた仕事をすること」

と考えているし、そう答えると思います。

一見何の問題もなさそうな答えですが、これは完全な間違いです。

もちろん、言葉だけを見れば、現象としては間違いではない。

しかし、実際には「根本的な」勘違いをはらんでいます。

それも、2つも。

今からその2つを見ていきますが、実はこのことは、ある企業に
就職するということを、企業側の視点から考えてみればすぐに
理解できることです。

例えば、ある企業が、月収20万円で木坂を雇うとしましょう。

木坂がもし、20万円以下の貢献しかしなければ、木坂を雇えば雇うほど、
企業は損をすることになりますね。

だから、木坂には少なくとも、20万円以上の働きを毎月
してもらわなければなりません。

そのためにノルマを課したり、各種インセンティブを設けたり、
迷惑極まりない飲みニケーションの場を設けたりします。

外資系であれば「君、雇ってるの無駄だからクビね」とすぐ言えるのですが、
日本の企業はそれが言えない。

それはメンタリティとして言えないのではなく、法律で禁止されていて
言えないのですが、とにかく言えない。

日本は先進国の中でも異常に解雇規制が厳しい部類に入りますが、
それは裏返せば

「雇用コストが極めて高い」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ということを意味しています。

どういうことかと言うと、

「こいつ、20万で雇って、もし失敗だったら、どうするよ」

という心配が、簡単にクビにできない分外資系企業などに
比べて極端に大きいということです。

これは雇用「コスト」だから、どこかに転嫁しないと、
経営が成り立たなくなります。

売り上げが減ってしまった、仕入れ値が上がってしまった、などの
コストを価格に転嫁したり、給料削減に転嫁したりするのと
同じこと構造ですね。

日本の雇用コストは非常に大きい。

ということは転嫁されるコストが非常に大きいということです。

この巨大なコストは、果たしてどこに転嫁できるでしょうか?

価格を上げる?

そんなことは普通は怖くてできないでしょう。

全員の給料を下げる?

それは鬼より怖い組合などが黙っていません。

場合によっては訴訟になります。

リストラはもっと問題になる。

役員報酬を下げる?

何で身銭を切らなければいけないのか、ぶつぶつ・・・。

企業年金などを減らす?

OBの顔はつぶせない、無理無理。

そうなると、もうコストを転嫁するところは一か所しかないわけです。

それが、新入社員の給料(を含めた待遇)です。

採用段階において、どこの馬の骨かわからないような奴を、
それなりの時間と費用(=コスト)をかけて審査して、
一部を実際に採用する。

しかしその採用した人間が「本当に役に立つかどうか」は
全く不確実であり(=コスト)、企業に損害を与えないかどうか
不安でもある。

そうだ、これらのコストを、採用するその人間に乗せてしまおう。

・・・というのが、基本的な考え方です。

ぶっちゃけて言ってしまうと、

「こいつが全く使えなくても企業にとっては気にならないくらいの
給料と待遇で雇用しようぜ」

と考えているということです。

簡単に言えば、大した働きは期待していないから、待遇もそれなりで、
ということ。

もちろんこの「働き」とは労働時間を意味していません。

あくまでも

生み出す付加価値
~~~~~~~~~~~~~~~~

のことです。

つまり、日本の企業は、これと言って意味のある価値を生みだすことを、
社員に期待していないのです。

だからイノベーティブな仕事はできないし、誰でもできるような
つまらない仕事ばかりが回ってくることになる。

そもそもが低値安定の期待値ですから、せいぜい領収書の整理とか、
コーヒー出すとか、コピー4000枚取るとか、無駄に訪問営業させるとか、
その程度しかやらせることがないのです。

だから、「やり甲斐」なんか求めている就活生を見ると、
あまりに憐れで悲しくなります。

そんなものは、最初の段階からあるはずないのです。

そんなに期待されていないのだ、ということをまずは理解しないと、
絶望ばかりが大きくなります。

5年くらいして、

「お、こいつは給料の30倍くらいは働くようだぞ」

とそれなりに認知されてきてから、初めて「やり甲斐」などという
言葉を口にする権利が与えられるのです。

まず、この企業サイドのメンタリティを理解していない人が
あまりに多いということがひとつ。

次に、「企業からお給料をもらっている」という壮大な勘違いを
している人があまりに多いということの説明をします。

今見てきたように、企業が企業として成り立っていくためには、
必ず

「社員の働き>社員の給料」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

という関係が成り立っていなければなりません。

僕の知り合いに、年間100台以上、高級車を売るセールスマンがいます。

これは驚異的な数字で、実際その人は関東で1番売っています。

仮にその車の販売価格が1000万円だとしましょう。

それを100台ですから、年間にその人が売っている金額は10億円に
なりますね。

さて、その人のお給料はいくらだと思いますか。

年間、1200万円です。

確かに、サラリーマンの桃源郷、夢の1000万円は超えています。

でも、その人が稼いだうち、9億9000万円近くは、
その人の手元には残らないのです。

「社員の働き>社員の給料」になっていますね。

これが、会社が成り立つために必要なルールです。

一方で僕のように個人で仕事をしていると、基本的には
売り上げ=収入、という関係が成り立ちます。

厳密に言えば各種経費や税金などがあるので丸々個人所得に
なるなどというバカげた話はないのですが、それでも、
サラリーマンのように、10億円稼いで、1200万円しか
もらえないなどということはありえません。

僕のやり方で年間10億円稼いだら、毎年都心の高級マンションが
3戸くらいキャッシュで買えます。

これはどういうことか、深く考えたことはありますか?

「独立していると自分で自分の給料決められるからいいよなあ」

などというぼんやりした感想で終わっていたりしませんか?

「原価とか仕入れとかかからない仕事だからだろ?」

などと表面的なことを考えて自己完結してはもったいない。

そうではないのです。

決定的に何が重要なのかと言えば、

「企業は社員からピンハネをして成り立っているものである」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

という事実認識なのです。

その意味で、企業とは、ピンハネの集合体です。

10億円稼がせて、9億9000万円ピンハネしている。

その集合体が、企業なのだということです。

だから、就職するというのは、その企業からお給料をもらいに行く
という事では決してありません。

むしろ正解は、自分が生み出した付加価値によって稼いだお金の中から、
莫大な「みかじめ料」を支払いに行く、ということなのです。

お給料とは、その残りカスにすぎません。

いいですか。

お給料は有難くいただいているものではなく、ピンハネられた残りカスです。

あなたが生み出した価値は、本当はもっともっと巨大で、社会に対して
お給料の何十倍も貢献したものなのです。

そういうものに寄生して体液を吸い取って生きているのが
企業の実態だということを理解しておいてほしいと思います。

日本企業は海外の経営者から

「良く言っても平凡な経営者、多くの場合、平凡ですらない経営者によって
経営されている」

と言われることがあります。

旧日本軍からの伝統でしょうか、日本の組織は上に行くほどバカになるらしく、
それは企業でも同じこと。

だから優秀な下っ端に寄生していないと、生きていけないのです。

ただ、僕は「ほら、就職なんてバカらしいんだ」といういつもの結論に
今回も持っていきたいわけではありません。

今回はあくまでも「それらのリスクを理解した上で就職する人」に向けて
書いていますから。

この話で僕が言いたいのは、そういう寄生生物としての企業という実態を
理解した上で、

「どうせ就職するなら、みかじめ料をケチるんじゃない」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ということです。

結局、どこに就職しようが、どれだけ貢献しようが、びっくりするくらいの
ピンハネが行われるわけです。

だったら、もうそんなものは初めから諦めて、自分が本当にやってみたい
業界に就職したらいいじゃない、ということが言いたいのです。

これが世に聞く

「給料を目的にするな、やり甲斐で選べ」

という有難いお説教の、裏側にある真実です。

短期的なやり甲斐は、さっき述べた理由により期待できませんが、
そうではなく、業界とか、ジャンルとか、そういう大きなくくりとして、
自分が純粋に足を突っ込んでみたい企業を選びましょう、と。

そのためのみかじめ料が多少高くても、長い目で見たら
その他も大して変わらんから、そんな些細なことを気にするでない、と。

就活の面接で

「御社の福利厚生はどうなっていますか」

などと史上最強に寒くて痛いことを聞いて人事担当者を
しおしおのぱーにするんじゃない、と。

10億円稼いで1200万円のお給料をもらっている彼は、
とても楽しそうに毎日を生きています。

僕が「独立すればそれだけで年収10倍くらいになるのに」と言うと、

「まあ、そうかもしれないけど独立したらこの車売れないから」

と言います。

99%のみかじめ料はすさまじいものを感じますが、それでも、
こう笑顔で言えるような業界を選んだならば、みかじめ料50%でも
毎日がストレスの連続の人に比べて、きっと何十倍も人生楽しいと思います。

以上2点、是非参考にしていただければ。

ではでは、今回はこの辺で。

結局20キロバイト超えてしまった・・・。

質問や感想、各種要望などがあればこのメルマガに
返信してください。

ありがとうございました!

木坂