〇〇さま

こんばんは、木坂です。

前回のメルマガにいくつかのお返事をもらいましたが、
いろいろなバックボーンの方がこのメルマガを読まれて
いるのだなあと思いました。

一体どういうきっかけでこんなメルマガ読んでるのか、
いったい何のためにこんなメルマガ読んでるのか、と
ちょっとだけ気になりますが、まあ、それはそれとして。

今回は、前回の内容を引き継いで、進化の中でも
「人間」としての進化の話に限定して書いてみたいと思います。

もちろんあらゆる側面からは語れませんので限りなく
偏った書き方にはなりますが、今を生きていく上で
極めて重要であると僕が考える視点からお話ししますので、
何か参考になるとは思います。

特に、なぜ地球上で人間だけが驚異的なスピードで
進化できたのか、その辺を中心に。

ではでは、早速いきましょう。

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目次

1.「人間」になるとき。

2.読者の方のメールより。

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1.「人間」になるとき。

今からわずか十数万年前、アフリカで画期的なことが起こった。

エチオピアで採れた黒曜石が、そこから非常に遠い場所に
運ばれていったのである。

あるいは、ナイジェリアで採れた貝殻が、なんと200キロも離れた
内陸部に運搬されたりもした。

これだけ聞いても、何のことか、何が画期的なのか、
分からないかもしれない。

しかしこの事実は、人類史上に燦然と輝く、余りにも画期的な
事実なのである。

今回はこの話をしてみたい。

そう言えば、今(厳密にはほんの一瞬過去だが)、
僕の右手の下にはマウスがある。

マウスという名前はもちろん「ネズミ」からきているが、
ぱっと見た感じ、それはネズミというよりは単なる石ころに近い。

どこか河原に行って、大きさと色が似ている石ころを拾ってきたら、
遠目には区別がつかないかもしれない。

しかし、この石ころとマウスの間には、あまりにも
大きな隔たりが存在する。

石ころは、例えば投げたりすることができる。

投げて鳥を仕留めたり、木の上の実を落としたりできる。

場合によっては武器にもなる。

その「働き方」は非常にシンプルで、だれでも見れば
すぐに理解ができるものだ。

一方でマウスは、右クリックだ左クリックだと操作方法は
パソコンを使う人なら大体の人が知っているが、しかしその
「働き方」は極めて複雑で、おそらくほとんどの人が理解できない。

その証拠に、

「河原に行って石を拾い、手斧を作りましょう」

と言われれば誰にでもできるが、

「今からマウスを作ってください」

と言われたら、地球上の誰にもその要求を満たすことができない。

それはマウスの働き方の原理を知らないからだ。

「誰にも」というのは誇張ではなく、実際にそうである。

例えば、マウスの素材についてどれだけ我々は知っているだろうか。

その素材の作り方、原料、原料の産出地域、産出方法、運搬方法、
加工方法などを知っているだろうか。

それらすべてを知っていたとして、実際に行うことができるだろうか。

素材の組み合わせ方、デザインコンセプト、電気系統、
レーザーの原理、その他無数の技術が組み合わさってマウスが
できている。

一体どの程度我々はマウスについて知っているだろうか。

操作方法「しか」知らないのではないだろうか。

この世の誰もが、これらの知識を全て同時に持っていることはなく、
つまり一人でマウスを一から作ることはできない。

しかしマウスは一般に普及し、誰もが「当たり前」に
思っている。

なぜこういうことが起こるのだろうか?

とは言え、よくよく考えてみると、このことは別段
「珍しい」ことではないことがわかる。

むしろ、現代社会においては、一人の人が一から十まで
すべて原理を理解できている事柄はほとんどない。

このことは、おそらくReadが”I, PENCIL”という論文の中で
初めて明確に言及したことだ。

http://fee.org/library/books/i-pencil-2/

我々はあらゆることを知らないが、あらゆることの「断片」を
知っている。

我々は何も知らない反面、すべてについて「少しだけ」知っている。

そういう時代になっているのである。

そしてこの現象を起こした原因は、

広い意味での交換
~~~~~~~~~~~~~~~~

である。

交換を通して、人は全く未知のものを「結果から」受け入れることが
できるようになった。

マウスを作ることはできないが、ほんの1000円程度と
「交換」してもらうことができる。

そうして「結果としての」マウスを手に入れ、自分の人生を
より快適にすることが可能になった。

現代社会はこういう様々な意味での「交換」を土台に
成り立っている社会なのである。

この「交換」は、たとえ物々交換であっても、
あるいは情報交換であっても、実は自然界においては
限りなく稀な文化であることが分かっている。

Ridleyも指摘するように、たとえばチンパンジーなど、
親から子へ、道具の使い方や食べ物の見つけ方など
ある種の文化を伝達していく生き物はいくつも確認されている。

しかしながら、

グループ間の文化交流が起こるのは人間だけ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ということも同時に確認されているのだ。

我々人類においてもそれを行うようになったのはわずかに
ここ20万年以内くらいのことであり、それが冒頭に記した
アフリカで起こった奇跡であり、これが現在確認されている、
人類最古の交換の証拠である。

例えばネアンデアルタール人には感情があり、仲間を慈しむ心があり、
火を使って調理をし、埋葬の記録も残っていて、ついこの間まで
人類の直接の祖先だと思われていた。

しかし骨の遺伝子鑑定の結果、我々(Homo sapiens sapiens)の
直接の祖先(Homo sapiens)ではないことが決定的となった。

我々よりも脳みその容量が大きく、芸術活動すら行っていたと言われる
ネアンデルタール人であるが、しかしそんな高度な文化を持っていた
彼らですら行っていなかったこと、それが、「交換」なのだ。

彼らの遺跡からは、現在のところ他グループと何かを交換した証拠が
出てこない。

彼らが使っていた道具はすべて「地元産」のものであり、
食べ物も同様である。

自分の行動範囲で獲得できる範囲のものしか身の回りにない生活だった。

彼らは自分の所属するグループで一生を終える、
ある意味で必要十分なライフスタイルを持っていたと言えるだろう

話をマウスに戻そう。

このマウスは、僕がパソコンを使い始めてから何個目のマウスか、
もはや定かではない。

おそらく10個以上のマウスを使ってきたはずだが、そうすると
1年に1個くらいは買い替えている計算になる。

パソコン自体、1年か2年で買い替えてしまう。

3年以上使うと、経験上いろいろと不安になることが多いからだ。

これはよく考えると驚くべきサイクルの短さである。

一方人類の歴史を見てみると、150万年前に使われていた
石斧は、その100万年後も変わらず使われていた。

3万世代以上にわたって同じものを作り続け使い続けるということは、
その間文化的な発展がほとんど見られず生活スタイルもほとんど
変わらなかったということを意味する。

100万年間も同じもので事足りていた時代と、今のように
1年で買い替えないと不安や不便を感じてしまう時代と、
何が変わったのだろうか。

何が起こると、こんなに急激なサイクルの短縮、すなわち

急激な進化
~~~~~~~~~~

が起こるのだろうか。

・・・などと、必要以上にくどく問いかけてみたが、
答えはすでに記している。

「交換」がそれであり、もっと言えば「アイディアの交換」が
それである。

アイディアの交換が進化につながるのは、ちょっと具体的に
考えればすぐに理解できる。

僕は1時間で10枚のセールスレターを書けるが、
領収書を1枚書くのに10時間かかるとする。

Aさんは1時間でセールスレター1枚しかかけない代わりに、
領収書1枚を1時間で書けるとする(それでも圧倒的に遅いが)。

この場合、僕が領収書を書いているのは全くもって
無駄であり、逆にAさんがセールスレターを書いているのは
完全なる無駄である。

ここは二人で話し合い、僕がセールスレターを2時間で
二人分書いて、Aさんが領収書を2時間で二人分書くのが
賢いだろう。

そして「結果」を交換すればよい。

二人が自分の殻に閉じこもり、自分のことだけを考えて
仕事をしていたら11時間かかったことが、
二人で「分業」するだけで2時間に圧縮されるのだ。

“二人は何の進化もしていない”のに9時間も節約できる、
ということがポイントである。

お互いが得意なことに特化することで、さまざまなコストが
節約できる。

特に、今見たような時間の節約が大きいだろう。

時間を節約し、余剰分を交換し、残りの時間で
さらに自分の能力を高めていくことができる。

さらに、余った時間でグループ間の交流も増え、自分の専門とは
異なる分野のアイディアと無数に出会うことが可能になる。

その結果、思いもよらぬブレイクスルーが起こる。

世界を変えたようなアイディアというのは、ある集団の中では
「当たり前」だったアイディアが、その集団を飛び越えて
他集団のアイディアに結びついたときに発生するものであることが多い。

典型的なのはジョブズが率いていたアップルだが、
技術的には凡庸なのに組み合わせが絶妙で本当に世界を変えてしまった。

これを僕は「イノベーション」と定義していて、簡単に言えば

「ありきたりのものがありきたりでない形で結合すること」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

である。

こうして、ムーアの法則よろしく、さまざまな技術や文化が
爆発的に進化・成長を遂げていくことになる。

前回「カンブリア爆発」の話をしたが、ある種のイノベーションが
起こると、そういう進化の加速圧力がかかることになる。

今までとはルールそのものが変わり、非線形的なスピードで
変化することを余儀なくされる(できないと滅ぶ)。

ここで大切なのは

1.アイディアの交換
2.イノベーション
3.劇的な変化への適応

であり、突き詰めていけばこれが人間としての進化の源泉となるわけだ。

サルを使った実験で、交換を教えることができることは分かっているが、
自然界に自発的にそれを行う文化はまだ確認されていない。

群れを超えて情報を共有したり、モノを安定的に交換したりする生き物が
我々人間以外にいないとは少し意外な感じがするかもしれないが、
それが「自然」なのであり、その意味で我々は「不自然」な進化を
遂げてきたことになる。

不自然な進化を、不自然なスピードで。

きっと、アフリカの大地で初めて他の集団と交流した一団には、
相当なストレスがあっただろうと予想される。

どういう理由があって交流しようと思ったのかは
分からないが、いずれにしても、生物界で初めての、
そして今のところ最後にして唯一の、画期的な試みである。

これがストレスでなくてなんであろうか。

これだけ交流が盛んになっている現代においてすら、
異文化コミュニケーションはストレスフルだというのに。

しかし彼らはそのストレス、その淘汰圧に耐え、
人類史上決定的と言ってもよい、爆発的進化の土台を築いた。

彼らが相変わらず地元のものだけで生活していたら、
他の集団を拒否して自分たちだけで生活していたら、
いまだに我々も石斧で生活していたかもしれない。

やっと火を使えるようになったくらいだったかもしれないのである

ここで、改めて前回の話と併せて考えると、生物から人類へ、
人類から人間へ、進化のロジックがぼんやりとその輪郭を
現してくる。

1.新しい環境を自分の周りに自分で作る
2.その新しい環境に適応する
3.異なる生き物とコミュニケーションをとる
4.イノベーションが起こる
5.劇的な変化に適応する

という輪郭を。

他集団との交流は人間に特有だと言ったが、それはつまり
生き物とは本質的に他者との関わりを拒み、自分のテリトリーに
引きこもりがちなのだということを意味している。

自分が必要最低限快適ならば、それでいい。

「自分が」頑張れば、全てなんとかできる。

そういう「自己中」な生き方が生き物としては「自然」なのだが、
そういう生き方をしていると、「不自然な」我々にとっては
進化が追いついてこない。

150万年前の石斧は、自分のために自分で作るものだった。

しかしマウスは、自分のために作るものではない。

だれかたくさんの人たち、おそらく数百万の人たちが、
自分を含めた他人のために作るものである。

現代社会はこうやって機能している。

人類は、専門性とその交換によって他人のために働き、進化し、
結果として社会を発展させ、相互の生活水準を高めてきたのである。

この「不自然な」流れはもはや変えることがでない。

実際、これまであった外部との交流が完全に断たれてしまった
タスマニアのある島では、人口が激減し、今まで作れたものが
作れなくなり、島の文化や社会が崩壊するに至ってしまった。

しかしそれは当然のことである。

自分が「一切」外部と交流できなくなった時のことを
考えてみてほしい。

僕は、マウスを作ることもできなければ、家も作ることができず、
食べ物の作り方も知らないから料理もできず、服も作れない。

つまり、衣食住のすべてが満たされない生活を送るしか
なくなってしまうのである。

当然、病気や怪我に対してはなす術がない。

我々は、望むと望まないとに関わらず、外部との交流によって
「断片」を寄せ集めて、何とか生きていけている状態なのだ。

交流がなくなれば、生きる術を失う。

これは一見不安定な在り方であるように思われるし
それは全く正しいのだが、裏を返せば、人類は交換によって

「自分たちが知らないものを形にする力を得た」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ということを意味する。

これは、恐ろしいパラダイムの転換であり、人類最大の特徴であると
言われている「言語活動」を明らかに超える意味を持つ。

言語化できないものが、言語化が追い付かないものが、
何らかの技術やアイディア、そしてその交換によって
実現するのだから。

そのスピードはまさに指数関数的だ。

とくに現代はインターネットを中心として、アイディアの
交換を行うインフラが驚くべきスピードで整ってきている。

ということは、今後の人間に要求される進化のスピードは、
これまで以上に加速していくのではないか、ということが
考えられる。

約10年前にインターネットが一般に普及し始めたとき、
すでに「情報格差」などということが言われていた。

今やそれは「当たり前」になり、勝ち組負け組よろしく
「情報強者」と「情報弱者」などというカテゴリーが
できつつある。

これは単にバカなのかそうじゃないのか、という区分ではなく、

・アイディアを交換する意思があるのか
・交換すべきアイディアを持っているのか

という基準によって区分されていると考えるべきだろう。

これからの時代は、こういう基準を満たす人間が、
淘汰の圧力に耐えることが可能となる。

そうでない人は、残念ながら、ということだ。

日本は国として「情報鎖国」や「ガラパゴス」などという
言葉が象徴するように、引きこもり体質が板についているが、
それでも世界の中心たり得たのだからその底力たるや
すさまじいものだとしか言いようがない。

しかし制度や組織など社会のシステムにひとたび
目を向けてみると、この20年、何か進化と呼べるものが
あっただろうか?

実は、表面的に進化成長を続ける水面下では、全ての問題を
未来の世代に先送りし自分たちの利益は確保し、
誰かがいつか何とかしてくれるよ、という態度を
決め込んできたのではないだろうか?

「頑張ろう東北」などと言いながら瓦礫受け入れを
激しく拒否る姿にそれはよく現れているように個人的には思われる

TPPに関しても、未来の世代云々言うのなら、変化は早い方が
よいに決まっている。

このままいけば、どうせどうしようもない。

そして原理的に言っても、前回と今回見てきたように、
遅かれ早かれどうせ変化しなければ我々全員、残ることが
できないのだから。

客観的に言えば、TPP反対派が守りたいのは、あくまでも
「自分が」好きな日本であり、「自分のための」日本なのである。

保護主義を囚人のジレンマになぞらえている論文をいくつか
目にしたことがあるが、まさにその通りで、もし各国が保護主義を
政策として採用すると世界全体が仲よくダメになっていく。

一国だけ保護主義政策を採用すれば、その国だけが損をする。

これが「真理」かどうかは僕にはわからないが、現時点における
学問的な研究を尊重するならば、「暫定的に真である」と
言わざるを得ない。

これをわかってて変化を拒否しているなら、それはそれで
破壊的イデオロギーの一種としてありかもしれない。

しかしわからずにやってるのは、単なる不勉強か、
思考力の欠如としか言いようがないだろう。

僕のところに、

「なぜ賛成ではないのですか、もっと勉強してください」

というメールがこないのも、そういう意味で興味深いと思う。

だから僕が気分的反対派なのは、ある意味本能的に「今の」自分の
ためにそう思ってしまうからなのであり、政策としてと言った場合は、
そこを理性の力でぐっと抑えて、未来の世代のことを考えているという
ことなのである。

僕は思想的に過激派なところがあるので、一度日本を
リセットするくらいの状況にした方が日本人の強みが
120%発揮されると少しだけ思うけれど、そこまですべきとは
さすがに言わないフリをしておく。

最後に、今回のメルマガの内容をざっと思い返していただき、
進化は何のためにするのか?という問いを改めて考えてみて
ほしいのだが、はたしてそれは自分のためだろうか?

「自分の成長だけが生き甲斐です」という希少生物が時々いるが、
そう公言している人においても、多くの人は「本当に、心から」
そういうことを思っている人ではない。

じゃあ、無人島でも必死こいて自らの進化のための努力をするか?
ということを問うてみれば明らかだ。

それでもYes!と言えるのは本気の武道家か宗教家くらいだろう。

一般人である我々にとって、現代的な意味での進化とは

誰かのため、未来のためにするもの
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

なのである。

なぜストレスまみれの交流をし、アイディアを交換し、
新しいものを生み出し、現状の問題を改善し、なぜそんなに
必死に進化・成長していかなければならないのか。

なぜ誰かのためにマウスを作らなければいけないのか。

なぜ誰かのためにこんなメルマガを書かなければいけないのか。

そういう努力で「真の」幸福が、「永遠の」幸福が
手に入らないことなど、僕らは感覚としてなんとなく
わかっているにもかかわらず、なぜ「無駄に」がんばり続けなければ
ならないのか。

それは、進化の拒否は、未来世代に全てを丸投げする
無責任な態度だからである。

そしてそれは「現実世界」における生の拒否に他ならず、
そういう人は文字通り生きる資格を持たないからだ。

僕が中途半端なスピリチュアルや宗教が嫌いなのは、
この現実における生を軽視するからで、この現実を「全力で」
生きた人間にのみ、僕は「幸せ」が微笑むと思う。

極論に聞こえるかもしれないが、「正しいか正しくないか」は、
死んだ後にでも判断すればいいんじゃないか。

ぐちゃぐちゃ言ってないで、正しいと思うことを、
全力でやろうよ、と。

人間はその本質からして誰かのためにしか生きられないなら、
開き直って誰かのために全力で生きてみようよ、と。

ただ、それだけのことが言いたいのだけど、なんでこんなに
長くなるのだか。

やれやれ。

2.読者の方のメールより。

前回のメルマガを配信してから、以下のようなメールを
いただきました。

「申し込みのページでも書きましたが、
今回のセミナーはいつにも増して心して参加します。

何か木坂さんの一連のメルマガからもいつもと異なる
雰囲気を感じるんですよね。

それが、社会における周りの動きから感じているものと
イコールなのかはわかりません。

ただ、大きな動きがあることは予測しています。 」

一部、僕のセミナーにずっと来てくれている方には
すでに僕の単独セミナーの先行募集をしているのですが、
申込みいただいた後にこのメールをいただきました。

メルマガからいつもと異なる雰囲気を感じられたとのこと、
あり得るかもしれません。

僕は何年か前から、2011年2012年はとにかく大変になる、
ということを言い続けてきましたが、そういうことがどんどんと
現実になり、まだこれからも爆弾がたくさん控えている。

そんな中にあって、いつも通り限られた人たちに向けて
アドバンストなセミナーだけをやっていてもいいのだろうか、
その少数の人たちだけが来るべき大波に準備ができれば
それでいいのだろうか、という個人的な自問が反映されていると
考えられるからです。

「外部集団との交流」が、僕自身必要なのではないか、と。

この方がメールに書いてくれているように、鋭い人は、
「社会における周りの動きから感じているもの」がうっすらと
あるはずです。

その正体がなんなのか、それは今は分からないかもしれませんが、
セミナーに来てもらえれば誰でも分かりますので気にしなくても
大丈夫です。

そんなことより大事なのは、それを感じ取ることのできる
感覚であり感性です。

この期に及んでのんびりとなーんにも感じず、なーんにも考えず、
ぼんやーり生きている人は、残念ながらこのメルマガも真面目には
読んでいないでしょうから、僕にできることはありません。

しかし、今までのように極めてセレクトの厳しい講座ばかり
開いているのもまた違うだろう、もっと一般的に必要なことが
あるだろう、ということで、今回のセミナーがあります。

「お金」にフォーカスしたのはそのためです。

ちょっと文字バイト数が個人的制約を超えそうなので、
セミナーの話は次回、少し詳細にしたいと思います。

お問い合わせいただいた方、申し訳ないですが
もうちょっとお待ちください。

日程も近いですし、今月内にはなんとか頑張って送ります。

ではでは、今回はこの辺で。

質問や感想、各種要望などがあればこのメルマガに
返信してください。

ありがとうございました!

木坂