〇〇さま

ども、こんにちは、木坂です。

前回のメルマガを発行してから、いろんな感想をいただきました。

まず

「ああ、年に2回でも忘れずにまだ読んでくれてる人が
たくさんいるんだ、ありがたやありがたや」

と驚きましたが、感想も多種多様で面白かったです。

年末年始にお金が出ていくことの理由を説明してくれた人も
何人かいました。

僕が想像だにしなかったライフスタイルなどが存在し、
すごく勉強になりました。

ありがとうございます。

さて今回は、ですね、過去あまりこういうことをしたことは
なかったのですが、せっかく感想をいろいろ送っていただいて
いるので、それに関して幾ばくかコメントをしてみようかな、と。

全てに、というのは到底無理ですので、一部を抜粋して
コメントしていきます。

もうひとつは、日々いろんなメールをいただいて、
またいろんな人の話を聞いていて感じることをひとつ、
簡単に(でも多分長く 笑)書いてみます。

新年を迎えるにあたり、新ためて考えてみたらいろいろ
ヒントになるかもよ、と思うことです。

前回の配信から二週間くらいでしょうか。

二十歳くらいのころは毎週メルマガを出していたわけですが、
今では二週間に1回出すだけで

「随分頻繁だなあ」

と感じる体たらくです。

まあ、あまり配信頻度については考えておらず、出したい時に出す
というスタイルなので、是非同じように「届いたら読んでやるか」
くらいの感じでいてくださいませ。

ではでは、早速いきましょう。

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目次

1.感想の、感想。

2.他力本願の長所と短所。

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1.感想の、感想。

感想はカギカッコで囲い、それに対して僕がコメントする、
というスタイルでいきたいと思います。

1.「その後、ご体調(胃腸炎)は、如何でしょうか? 」

この胃腸炎に関しては何人かの方がご心配のメールを
送ってくれました。

幸い、今年の初めに胃腸炎で死線をさまよってから(大げさ)、
全体的に弱体化はしたものの、元気に年を超えることができそうです。

胃腸炎が高値安定していた時は、おじいちゃんとおばあちゃんが
川の向こうで手招きしているような気もしたのですが、
よく考えたらおばあちゃんは二人とも健在でした。

我ながら不謹慎すぎて胃腸の痛みを一瞬忘れました。

ただ、弱体化したとは言っても、相変わらず、道を歩いていて僕に
声をかけてくるのは大阪のおばちゃんだけでして、夜の歌舞伎町とかを
歩いていても、決して客引きに声をかけられることがありません。

この間なんか、セミナーの帰りに横断歩道で目があっただけの人に
「あ、ごめんなさい」と無条件降伏されました。

何にもされてないって、謝る必要ないって。

無差別に声をかけるティッシュ配りの人とか、居酒屋のお兄さんとか、
そういう人はたまに僕なんかにも声をかけてくれますが、決め打ちの
声掛けはいまだに未経験。

手相を勉強しているらしい人に街中で手相を見てもらいたい、
という僕の昔からの思いはいまだに成就せず、誰も僕の運命になんて
興味がない様子です。

友人が主催している護身術スクールに顔を出してみても

「あなたには護身術が必要になる日が来ないと思う」

と参加者に言われる始末。

どうやら、僕は自分の身を守ることも許されないようです。

何の話かよくわからなくなってきましたが、総じて、
僕は元気にやっております。

2.「木坂さんの「スピリチュアル」についてのものだけ読みたいのですが
それは可能ですか?ネットでちょっとだけ読んだのですがとても
参考になったのでぜひ全部読みたいとおもいまして。
よろしければ教えてください。」

スピリチュアルに関しては、過去1回だけセミナーを開催したことが
ありますが、何かに書いたとか、そういうことはありませんので、
読むことは不可能です。

お読みになられたものは、おそらくセミナー受講生のどなたかが
独自にまとめられた文章だと思います。

大変申し訳ないですが、そんな事情でございます。

ただ、セミナーのビデオは販売しておりますので、
ご希望ならばメールしてください。

そこまでではない、という場合、僕の気が向いてまた書いたり
話したりすることがあるまでは独学で勉強なさっていてください。

3.「あなたが47人いれば、この国は中国や北朝鮮にばかにされる国には
なってないでしょうね。」

あなたの問題意識は、非常によくわかります。

実際、僕は今インテリジェンスをテーマにした講座を持っていますが、
最近は中国や北朝鮮をテーマにしたものが多い。

ただ、「ばかにされる」というのは、おそらく

「相手のいいようになること、うまく利用されること、格下に見られること」

くらいの意味合いだと思うのですが、そういう意味であれば、
日本と同じくらい、中国も北朝鮮も「ばかにされて」いるのが現実です。

誰がバカにしているか、という問題はここでは割愛しますが、
国際政治というのは、僕らが考えているよりも随分と先を進んでいます。

つまり、僕らの目に見えていることというのは、もう結果が
出てしまっていることがほとんどで、極端な言い方をすれば、
目くらましに近い役割すらはたしています(結果論として)。

ですから、具体的に誰とは言わないけれど、有名大学で国際政治学の
教鞭をとっている人とか、そういう人まで驚くようなことを
したり顔で垂れ流しているのが現状です。

彼らのでかい頭には、重箱の隅をつつくようないろんな知識は山ほど
入っているでしょうし、そしてリアルタイムの情報を集めてくれる
スタッフはたくさんいるのでしょうけど、最も重要な部分が
全く入っていないように思われます。

だから世界の動きを見誤るのです。

セミナー以外の場で、僕はこういう話題について言及することは
少ないのですが、大変意識の高い方もこのメルマガを読まれて
いるようなので、いくつか世間の常識の誤りを訂正しておきます。

・米中は、あまり対立していません
・朝韓はほぼ対立していません
・中朝あるいは米朝はそもそも対立するような立場にありません
・今の中国首脳陣は、日本と対立したくはありません
・日本が関係を強化あるいは改善あるいは進展すべきは、米国でも中国でもなく、
たとえばインド、キルギスタン、カザフスタンなどです(一例です)
・北朝鮮の延坪島砲撃は、少なくとも中国(の一部)と米国には既知のことでした
(日本や韓国に関してどうだったかは確認が取れていません)
・ウィキリークスをめぐる一連の動きは、ある程度まで出来レースです

このようなことは、正しく情報処理ができるのであれば、
およそ誰にでもわかることです。

仮に「わかる」まではいかなくとも、「見当がつく」くらいまでは
いく必要がある、そんなようなことです。

是非、これからもフラットな視点で世界を見るようにしてくださいませ。

4.「ここまで社会を論断されたなら、もう少し明るいともしびを示して
いただきたく思い、返信しました。

だいぶ失われてきてはいますが、日本の精神文化と日本人の根本的な能力は、
私自身も信じています。

しかし、世界のゴミの生産競争の中で、日本もラット競争に参戦していかなけ
れば、現在よりも更にQOL(生活の質)が下がり、失業者も増え、社会混乱が起こ
るのではないかと想像します。

もう少し違う創造性の世界があるのではないかと感じますが、グローバルな観点
から、明るいともしびのかけらでも示していただきたくキーボードを打っていま
す。

よろしくご指導のほどを!」

明るいともしび、というものが何なのか僕にはよくわかりませんが、
言葉からイメージされるものが正しいと仮定して話を進めてしまうと、
僕が書くもの、しゃべるもの、全てにおいて、論断がメインに
なっていることはありません。

すべて、まさに「ともしびのかけら」をお伝えするために、
いろんな側面から「かけら」を届けるために、はきだしているものです。

というのも、「破壊」と「再構築」は常にセットでなければならず、
時として実際の再構築は後世に任せることになるかもしれませんが
せめてその土台だけは提示しておかねばならない、それが現代に生きる
人間の責任であると考えているからです。

その「ともしび(と僕が思っているもの)」をどう受け止めるかは
既に僕の手を離れてしまっていますので何ともコメントしようが
ないのですが、ひとつ言えるのは、

「人は見たいものしか見ない、理解したいものしか理解しない、
見れるものしか見えない、理解できるものしか理解できない」

ということでしょうか。

いろいろと大変かとは思いますが、人生において、様々なことを、
時に自分と距離をとりつつ、ゆっくりと考える時間をとられることを
お勧めいたします。

5.「豊かさと多様性の果てに,世の中がどんなふうになって
ゆくのか考えずにはいられません.大した結論も出ない
まま,また睡眠不足になりそうです.

「世も末だ」などとセリフだけを吐き捨てるつもりは全く
ありません.その先がどうなるのかがとても気になるわけ
です.

木坂さんならどのようにお考えになりますか?」

非常に難しく、また大切な問いだと思います。

この問いに関しては、いろんな角度から、またいろんな深さの議論が
可能ですし、またしなければならないのでその全体像を提示することは
容易ではありませんが、ひとつ視点を提供させていただくなら、

「アセンション」

という胡散臭い言葉を聞いたことがないでしょうか?

巷で気持ち悪い人たちがしきりに叫んでいるアセンション物語は
どうでもいいので、この言葉の本質的な意味を探ってください。

ヒントになるはずです。

6.「木坂さんと同じで僕もあまり物を買いません。
一時期机がありましたが必要性を感じなくなって捨ててしまいました。
一人暮らしの時は冷蔵庫もありませんでした。

それでどうやって暮らしているのとよく言われましたが、冷蔵庫なんて
ここ40年でしか人類の歴史上存在しなかったものなのでなくても
生活できるだろうと思って使うのをやめました。

日持ちしないものはなるべくその日に使うようにして、保存が必要な
調味料などはなるべく冷えたところに保管しておき、なるべく少ロットで
頻繁に買い物にいくようにしていけば冷蔵庫はなくても生活できることが
わかりました。」

上には上がいますね。

僕の場合さすがに冷蔵庫はあります(今のマンションに勝手に
ついていたものですが)。

奢ることなく、真摯に邁進していきたいと思います(どこへ)。

7.「最近良質なインプットとはなんだろうと考えていて木坂さんの
情報源が気になっていました。

テレビはわかりますが、新聞も読まれないんですね。

池上彰さんが新聞紙を毎日7誌読むと聞いて新聞に対しての
情報の質を再評価しようと何誌か新聞を読んでみたり、情報源として
新聞を評価している本を何冊か読んでみたりしていたのですが、
木坂さんが新聞は全く読まないと書いてくれたので
「新聞は読む必要ないんだよ」と背中を押してくれたように思います。」

新聞を7誌読むのは、それが仕事に直結する場合を除いて、
全く不要だと僕は考えています。

というのは、2つ理由があります。

1.新聞は、現在となってはバカがバカのために書いているので、
そもそも読むべき部分が少ない(厳密に言うと、記者の中には
優秀な人もいなくはないのですが、総じて高いポストにいる人が、
いろんな事情があってバカですから、出てくる記事は、バカ向けになるのです)。

2.その数少ない読むべき部分を「本当に」理解するのは、実は非常に
高度なインテリジェンス能力が要求される(読んでわかった気になって
終わるくらいなら読まない方がマシだということです)。

そんなわけで、普通に生きているのであれば、まあ新聞を
読んでいるような時間があればもっと他にやるべきことがありますよね、
と僕は考えているわけです。

ちなみに僕は新聞もテレビも見ないですが、同時にネットニュースも
見ません(特定のニーズがあって検索に引っ掛かった場合を除く)

ヤフーなんか、アクセスしたことが生涯で5回くらいしかありません。

でもなぜか、新聞を読んでテレビを見てヤフーニュースも見ている人より、
日本や世界の情勢について詳しいです。

これは文字で見ると不思議なことかもしれませんが、僕にとっては
当たり前のことで、

「そんなん見てるから、必要な情報も入ってこなくなるのよ」

という一言に尽きます。

「良質なインプットとは何か」という問いに答えるのは
容易ではありませんが、ひとつヒントを言うならば

「大衆は常に間違う」

ということでしょうか。

是非、頑張って独自の情報源を築き上げていってください。

・・・この他にもたくさんのメールをいただいておりますが、
キリがなくなるので、とりあえずこの辺で。

いただいたメールには、基本的にお返事はしておりませんが、
全てに、できる限りの時間を費やして目を通しています。

とてもおもしろいものが多いので、是非、時間があって、
さらに気が向いたら、また送ってくださいませ。

2.他力本願の長所と短所。

他力本願、というと基本的にマイナスのイメージを持つ言葉として
使われます。

「自分で努力することなく、他人に任せっきりでいい思いをしようとすること」

このような感じで使われていることが多いはずです。

現代の用語法としてはこれが定着していますので、一応この使い方で
この記事も書きますが、まず余談として、この使い方は、本来的な
「他力本願」とは全く違うということを、指摘しておきたいと思います。

漢字を見て推測はできると思うのですが、これはもともと仏教用語です。

そして仏教というのは、まあ解釈のアレはいろいろありますし、
仏教の専門家の方も、僕が認識しているだけで何人もこのメルマガを
読んでくれていますので、僕なんかが断言するのも多少躊躇はあるのですが、
究極的な意味では、全て他力本願です。

自力を可能にするための、根本的なものとしての他力とでも言えばいいのでしょうか、
そういう思想が仏教全体を貫いています。

僕らが日常使う「他力」は、多分仏教では「他律」などと
表現するのではないでしょうかね。

自らの在り方や世界の在り方に対してなんら問いを持つことなく、
奴隷的な状態で、「生かさぬよう殺さぬよう」飼いならされている存在。

仏教では、これを「他律」という言葉のほかに、よりストレートに
「畜生」と表現したりします。

毎日のエサは約束されている。

その代わり、ご主人様の鎖がいつもつけられていて、エサのために
ご主人様のご都合や命令によって何でもする存在です。

「何でもする」のですから時として明らかな悪行を働くわけですが、
「やれと言われたからやったのです」という感じで、特に悪いことをした意識も
ないのが特徴でしょう。

にもかかわらず、哀しいことに、その悪事が明るみになれば、
責任を取らされるのは末端である「畜生」です。

そして運よく悪事を働かなくても、時期がくれば、必要に応じて
屠殺されるのが、畜生の運命。

なんだか現代社会を見ているようですが、仏教や哲学や神学の面白さは、
こういう普遍的な真理に肉薄しようとするところだと、個人的には
思います。

(※今回の記事とは関係ありませんが、この「畜生」に関して、
違う側面から極めて鮮明に分析した『イエルサレムのアイヒマン』は、
現代社会における「畜生」を学ぶのに非常に良い本です。ご参考まで。)

日本語には、

「おかげさまで・・・」

という言い回しが存在しますね。

それに対して

「いやいや、別に私は何もしてませんよ」

などという、半ば冗談めかした応えも一般化していると思います。

しかしながら、実はこの言葉も、「あなたのおかげで」という
意味では元々ないわけで。

元来「陰」というのは神様や仏さまの「陰」という意味であり、
その神様や仏様がいつも見守ってくれているということに対して、
感謝のしるしとして、「おかげさま」という言葉を発するものなのです。

決して、目の前の誰かに対して言っているわけではない(繰り返しますが、
あくまでも「本来は」の話です)。

こういうところにも、日本人である我々の根本に流れる、
本来の「他力」の思想があると思うわけです。

神様や仏様が実際にいるかどうかという話はここでは置いておくとして、
自らより優れたものを素直に認めるということは、案外重要なことだと
僕は思います。

今、リーディングマスタークラスという講座でオルテガの著作を
読んでもらっているのですが、オルテガは

「自分より優れた者の存在を認め、現状に甘んじることなく、
自らにより多くを課し、進んで苦難を引き受け、誰よりも努力するような存在」

を「貴族」と呼び、正しい生き方として評価します。

一方で、その逆、つまり

「自らを万能だと思い、現状に満足し、自らに少ししか課すことなく、
苦難をできるだけ避け、努力を避けるような存在」

を「大衆」と呼び、この社会をダメにする存在として、手厳しく
批判しているわけですが、僕は、正しく理解しさえすれば、
本来の「他力」の思想はこの「貴族」に通ずるものがあると
思うのです。

残念なことに、いつしか「おかげさま」は目の前の相手のおかげを
意味するようになり、さらに単なる社交辞令、枕詞程度のものとなり、
本来的な意味での他力の思想は我々の表面的な生からはほぼ消滅し
しまったのかもしれませんが、ま、それはそれとして。

(いつも通り)少し前置きが長くなりましたが、今、現在の我々が使う
「他力本願」に戻りましょう。

単純に

「他人を頼って、できる限り楽していい思いをしたい」

という方の他力本願です。

あるいは

「悪いことは全部他人のせい、早く何とかしろ」

という他力本願です。

もしくは

「世の中悪いのは政治のせい、いい加減何とかしろ」

という他力本願です。

この意味での他力本願、なんとなく諸悪の根源のように言われることが
多いのですが、僕個人としては、これそのものが決定的に間違っている
というわけではないと思っています。

もちろん、話にならない程の人は山ほどいるでしょう。

そういう人の話はまた暇なときにするとして、ここでは、
そうではなく、もう少し穏やかな他力本願な思想を持つ人たち、
そこには当然僕自身も含みますが、そういう人たちが持つものとしての
他力本願について考えることにします。

そういう範囲における他力本願であれば、僕は、思想としては
ありだろうと思うのです。

というのも、その限りで言えば、他力本願も一面では
正しいことを言っているからです。

たとえば、ファミレスでコーヒーを頼み、店員が運んでくる場面を
想像してください。

店員が何かにつまずいて、コーヒーがこちらにばっしゃあーと
かかったとします。

人によってその後のリアクションは変わるでしょうが、おそらく

「原因(責任)は店員にある」

という認識は、ほぼ共通だと思われます。

ここで

「ああ、前世の業だ」

とか、あるいは

「さっき思わず蚊を殺してしまった自分が招いた、因果応報の・・・」

などと考える人は、10万人に1人クラスの、極めて少数でしょう。

その意味で、つまり自らに起こったことの原因を他者に求めている
という意味で、これも他力本願です。

そして、別に認識として間違ってはいない。

実際に前世の業であるか、因果応報であるかはもはや信念の問題であって、
現象だけを見て判断するならば、ほぼすべての人が「少なくとも、
自分に原因はない」と自動的に判断してしまうわけですから。

ですから、このくらいの意味での他力本願は、実は我々の現実の生における、
「客観的事実」とあまりにも安易に呼ばれているようなものをそれっぽく
説明していたりするわけです。

となれば、別に無理に否定する必要もないのではないか、と
思うんですね。

しかしながら、ひとつだけ重要な、そして非常に残念なことがあります。

今見てきたようにこの「他力本願」は決して「間違い」ではないのですが、
それでも実際にはあまり意味を持たないという現実から目をそらしては
いけない、ということです。

それはどういうことかと言えば、話は簡単で、

「他力本願だと、自らの意思で自らの人生をコントロールできなくなる」

ということに尽きます。

我々は、細かい理由はともかく、大雑把に言えば

「今より幸せになりたいぜ」

という目的によって、おめおめと生きながらえている存在です。

そういう状況にあって、当然生きてりゃいいこともあれば悪いことも
あるわけで。

その悪いことの一部を指して「俺がこんなになったのはあいつのせいだ!」
と思うのは自由だし、事実はそうなのかもしれない。

今の苦しい理由は、政治のせいかもしれないし、親のせいかもしれないし、
会社のせいかもしれない。

しかし実際そうだったとしても、それで一体何が変わるというのでしょうか、
ということを僕はここで言いたいのです。

こういう認識は、正しいかもしれないけれどその一方で自分の生の充実には、
何の貢献もしてくれません。

これは、巷にありがちな、何でも自分の責任だと思いなさい、という
上から目線のありがたい説教というより、

「今より幸せになりたいぜ」

という根本的な生きる目的に関して、何一つ役割を果たしてくれないという、
より現実主義的な話です。

そこが、他力本願という思想の最大の欠点だろうと僕は考えています。

僕はセミナーでは耳にタコができるほどに

「今、実際に自分が生きている現実の世界において、自分が何をできるのか、
それを考えて生きていくことが、自分を含めた、世界の幸福につながります」

ということを言っています。

大事なのは、

「自分が生きている現実の世界において」

という部分です。

セミナーに出たことがない人などはどうも

「木坂は哲学などの抽象論が好きなようだ」

と思っているケースが多いようなのですが、まあもちろんそれは否定しませんが、
セミナーなどの場合、僕は常に、「現実の生」という観点から話の抽象度を
選んでいます。

つまり、これ以上具体的なものは皮相的すぎて役に立たないし、これ以上
抽象的にしても現実と乖離しすぎて役に立たない、と思う次元で言葉を選んで
いろいろ話しているということです。

「現実に役に立つ」という観点から話しているわけですから、その意味では
功利主義的ですらあるかもしれません(ちなみにそもそもの「功利主義」は、
自己中心主義などとは無縁の思想です)。

ですから、この他力本願も、「事実を描写しているかもしれない」という
抽象的(概念的)事実としては認めるのですが、現実の生を考えた場合、
どうもお勧めはできないな、というのが本音なのですね。

事実を説明していても生の充実に貢献しないのであれば無駄なのか
それともそもそも「ある種の原因は他者にある」という我々にとって
当たり前の認識は、実は事実を説明できていないのか。

いろんな疑問を持つのも楽しいかとは思いますが、なんにしても、
他力本願は、自分を正当化したい、自分以外に原因があると思いたい、
というエゴを刹那的に満たしてくれること以外は、特に現実的な役割を
与えられていないのが実際と言えるでしょう。

本来の意味での他力本願であれば貴族への道が開かれ、現代の意味での
他力本願からはエゴイズムを正当化し、時に助長する道が開かれる。

何とも皮肉なことですが、そういうものなんだということを考えつつ、
新しい年を迎えてみるのも、楽しくはないかもしれませんが(笑)
有意義ではあると思います。

ではでは、今回はこの辺で。

質問や感想などがあればこのメルマガに返信してくださいませ。

よいお年をお迎えください。

1年間、ありがとうございました!

木坂

追伸:毎年恒例となっている新年に向けての、通称
“生まれ変わり”セミナー。

こんなネーミングで呼ばれたことがないというのは内緒ですが、
今回も、1月末ごろにやります。

最近は一般の方を対象にしたセミナーをほとんどできていない
状態でして、事実上年に一回、この時だけの開催になっています。

もし興味がある方は是非ご参加ください。

開催が1月末ですから、年始できるだけ早くにご案内を
お送りいたします。