〇〇さま

ども、こんばんは、木坂です。

メルマガの発行がついに年に2回になりつつありますが、
いかがお過ごしでしょうか。

気がつけば年の瀬。

おかげさまで毎日忙しくさせていただいておりますが、
忙しい中でもいろいろ思うところあり、メルマガを書いております。

前回は真夏に非常に暑苦しいメルマガをお送りしましたが、
今回は徒然草です。

いつものような、抽象的な話もありません。

テーマはもちろんありますが、暑くも寒くもない、
単なるとりとめもない語りだと思っていただければ。

何らかのヒントを得る人は得るでしょうし、ただの読み物として
読んでいただいてももちろん僕は構いません。

ではでは、早速いきましょう。

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目次

1.年の瀬に思うこと。

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1.年の瀬に思うこと。

ほとんどの人には関係のない話ですが、僕が敬愛する
聖飢魔Ⅱのミサツアーが先日終了いたしました。

一生のうちで彼らの信者と出会う確率は、普通に生きていたら
ほぼ皆無に等しいと思うのですが、僕がセミナーでしきりに
布教した甲斐もあって、僕に

「ミサに行きました!」

という連絡をくれた人の数だけで10人を超えました。

これは、信者あるいは隠れ信者の方はよくわかると思いますが、
奇跡に近い数字だと思います。

僕のセミナーに参加してくれた人の中で、実に10人以上の方が、
ミサに参拝してくれたのです。

僕がお礼を言うのもおかしな話なのですが、ありがとうございます。

そして、今回お話ししたいのはそのミサの素晴らしさではなく、
最後の国際フォーラムミサに参拝に行ったときの出来事に関してです。

国際フォーラムは、ご存じのとおり有楽町駅に存在します。

有楽町駅には、これまたご存じのようにビックカメラが存在します。

マイケルジャクソンが貸し切って買い物をしたことでも有名な
ビックリカメラです。

僕はそこにSDカードを買いに寄りました。

結構音声を録音したり、あと実は写真を撮ったりするので、
思いのほかSDカード需要があるのです。

さて目的の品はどこかいな、ということで案内板を見て、
さらにあたりを見渡したわけですが、僕はそこで驚くべきものを
見てしまいました。

驚くべきというか、何というか。

数えきれないほどの人間が、そこにいたわけです。

いや、年末だし、ビックリガメラだし、そんな驚くほどのことでもないじゃない、
というコメントがあるのは理解していますが、僕は驚きました。

そして、一緒にミサに参拝する予定である人物に向かって、

「なあ、不況って、どこにいったんだ?」

と思わず問いかけてしまう始末。

・・・不況?

ビックカメラのあらゆる商品やレジというレジに長蛇の列ができ、
まっすぐ歩くことすらもままならない状況で、携帯電話のコーナーにすら
数えきれないほどの人が大挙をなして押しかけ、

「あんたらそんなに携帯壊れてんのかよ」

と、自分の5年物の携帯を見ながら心の中でつぶやきつつ、
不況とか、お金がないとか、そういうことって一体何なんだろうと
改めて考えるきっかけをもらい、SDカードは買わずに店を後にしました。

僕の携帯電話は、ボロボロです。

塗装は剥げ、きちんと折りたたむこともできません。

たまにバグります。

しかし、必要を感じないために、機種変更をする気にもなれない。

ところが現実を見渡してみると、明らかに壊れておらず、
どちらかと言うとまだきれいな携帯電話を片手に持った人たちが、
よりナウでヤングなものに機種変更しようと列を作っている。

「地デジ対応のテレビ買わなきゃ」

という人でテレビコーナーは大盛況。

買わなきゃって、それは法律なのか。

僕と一緒にいた人は

「いい機会なので、テレビ捨てますよ」

と言っていました。

これが正しい感覚です。

僕はと言えば、3Dテレビの予想をはるかに上回るしょぼさに
感嘆の声をあげ、それに人生とプライドをかけて開発した
数多の方々には心から申し訳ないと思いつつも、完全に才能と
お金の無駄遣いだと感じ、哀しい気持ちでテレビコーナーを
後にしました。

どこを見ても人、人、人。

みんな両手にでかい荷物を抱え、楽しそうに店を後にしていきます。

一体何をそんなに買うものがあるのだろう。

一部誤解があるようですが、僕はあまりモノを買いません。

というより、趣味も少ないし生きていく上で必要なものも少ないので、
買うものがあまりないのです。

唯一服飾が趣味なので、そっちにかけているお金はある程度ありますが、
車や時計などは全く興味がないし、家電も全く。

車を持っていないどころか、免許すら持っていません。

東京に住んでいて、車を所有するのは、アクセサリーとしての意味以外は
全くないですから。

パソコンも、仕事で必要だから使うだけで、本当は嫌いです。

本1冊に何万円もかけるなど価値ある本にはそれなりのお金を投下しますが、
それでもまあ収入対支出という意味ではたかが知れています。

旅行もしないし、外食も別に好きではない。

お酒も一滴も飲みませんし、煙草も吸いません。

新聞も何年も読んでないし、固定電話も入ってない。

友達も少ないから遊びにも誘われず、仕事以外で外に出るのは、
服を買いに行くときくらいのもんです。

これを言うとたまに引かれるのですが、家にはテーブルやカーテンが
ありません。

食事は、段ボールをひっくり返してテーブル代わりにして食べています
(実際問題、テーブルって、いります?)。

案外質素な生活なのです(笑)。

というか、使うところと使わないところの差が激しいという方が
正確でしょうか。

通知表が1と5しかないようなもんです。

でも、「お金がないお金がない」「今月ピンチだ」などと
言っている人に限って、どう考えても無駄なものばかり
買っているように見えるのは、気のせいなのでしょうか。

だからあんたお金ないんじゃないの、と言ってしまうのは
今の日本ではタブーなのでしょうか。

そう言えば、毎年不思議なのが、クリスマス年末年始の出費がしんどい、
という世間の声です。

僕個人の経験では、年末年始に支出が増えた記憶がないのですが、
これはなぜ年末年始はしんどくなるのでしょう?

一部企業では12月はボーナスも出ているでしょうし、
おせちやお年玉ったってたかがしれているだろう、と。

一体この時期、何に使っているのだろう?と毎年不思議でした。

コンサルなんかやっているのに、こんな基本的な部分が
案外わからない。

「年末商戦」なんて言葉がありますし、ビックリカメラは大盛況でしたし、
みんな無駄な買い物をなぜかしているのだな、ということはなんとなく
わかります。

わかりますが、ただそれだけでそんなにしんどくなるのか?と。

「忘年会」という僕がこの世で5本の指に入るくらい無駄だと思っている
行事が続く人もいるでしょう。

しかし毎回そんなに使うわけではないと思います。

チリも積もればマウンテンで、結果的に大きな金額になるのでしょうか?

なら行かなきゃいいのに。

あとは帰省か。

交通費は確かに高いですから、これはなんとなくありそうかなと思います。

僕にはこのくらいしか思いつかないわけですが、もし他にあれば、
是非教えてください。

これは皮肉ではなく、本当に疑問なんです。

この時期に限らず、スターバックスのような、ちょいと高いカフェや
レストランは満員で並ばないと入れない所が多く、そこを通り過ぎるたびに
「みんなお金あるなあ」と感じますし、カフェなんかはオサレ度が増し、
値段が増すほど、混んでいる気がします。

僕のセミナーは相場よりもおそらくだいぶ高いのですが、
頑張って食費やその他の生活費を削って参加してくれている人がいます。

彼に聞くと、

「昼食はコンビニのパン一個と飲み物だけにしてます」

と。

20代前半の若者が、一食約250円。

コートを着たいくらい寒い季節になっても、薄いコットンシャツで
会場にきます。

体もものすごい細いので、実際以上に寒そうに見える。

風邪ひきまっせ、と思うのですが、アウターを買うお金がないそうです。

そうまでして学びたいわけです。

素晴らしい心がけであることは言うまでもないのですが、僕は彼に言いました。

「自炊にしなよ。もっと安く、体にいいものが、いっぱい食べられるから。」

一人暮らしの男であれば、まあ彼ほど頑張る人は多くないでしょうから、
おそらく、少し気をつけていても、1日1000円くらいは、
飲食に使うと思います。

ということは、月3万円です。

3万円で自炊をすれば、添加物まみれのパン1個なんて言わず、
かなり普通に食べられます。

そうすれば体も健康になり、頭も今より働くはずです。

当たり前と言えば当たり前のことだと思うのですが、
自炊に限らず、いろんな理由をつけて、なぜか「当たり前のこと」
しない人の方が多い。

これも僕は不思議です。

水嶋ヒロという人の処女作が、予約だけで40万部を超えたそうです。

活字離れ、なんて言われて久しいですが、村上春樹といい、
決して安くはない本に何十万人もがお金を払うというのが、
現実なのです。

僕は、一方で8万円を出して哲学書を一冊買って「何て安い
買い物をしたんだ」と思いながら、1Q84を買って読んだときは、
「鬼たけぇ」と心から後悔しました。

でもそういうハルキ本ばかりを買っている人たちは、普段
「お金ジャブジャブ余ってるわー」とか言ってるかと言えば、
もちろん言っていないと思うわけで、そして別に元々活字が
好きとかでもないと思うわけで、何ともいろいろ不思議なことです。

ちなみに水嶋さんの小説。

あらすじを聞いた限り僕は全く興味を持てませんでしたが、
文芸の世界が賑わうのは歓迎します。

「名前で賞をとった」とか「出来レースだ」とか「新手のマーケティングだ」
などといろんな人たちが言っているようですが、僕はそんなことは些細な問題だと
思います。

彼の作品が、文学的にどうであるかは、読んでないのでわかりません。

しかし、彼のような話題性のある人が文学界に来てくれたということ自体が
価値のあることなのです。

世の中、くだらなくて、むしろ読まない方がいいだろうという本ばかりが
大量生産されています。

そうしないと、出版社がつぶれてしまうために、彼らも必死なのです。

だったら、もし仮に水嶋さんの作品がゴミ同然だったとしても、
それだけ文学界に人の目を集めてくれたのだから、感謝こそすれ、
批判する必要は全くないのではないかと思うのです。

10000のゴミが10001になったところで、何が変わるのか、と。

批判するなら、文学界、出版界に彼くらいの金銭的・社会的貢献をしてから
したらいいんじゃないの、と思うのは、僕が本質的には部外者だから
なんですかね。

それに、こういう「ヒーロー」的な人がいる業界は強い。

そのヒーローが偉大だというのではなく、後続が育つという意味で、
強い。

文学界が今寒いのは、憧れられるようなヒーロー、たとえば三島や
小林秀雄のような物書きがいなくなったからです。

ヒーローがいれば、それに憧れる有象無象の後続が押し寄せます。

その中でほんの一握りのダイヤが、そのうち磨かれて輝きだすのです。

しかしヒーローがいない業界では、そもそも有象無象もきませんし、
ゆえに中から磨かれて輝く人も現れにくくなってしまいます。

だから僕はビジネス系のセミナーでは

「業界のヒーローになってください」

とよく言います。

業界で一番になるとか、まあそういうエゴイズム満載の目標も人生の
一時期にはいいかもしれませんが、少なくとも、僕のセミナーでは
あまりお勧めはしていません。

そんな人ばかりになれば、業界そのものがすさんでしまいますから。

ヒーローになり、後続の礎となってこそ、僕はビジネスをやる価値が、
もっと言えば生きている価値があると思っています。

この辺は正しいか否かというよりも、価値観の問題なので、
共感できない人は、自分の信ずる道を頑張って進んでください。

世の中に無駄というものがあるのかどうか。

たとえば、僕は新聞やテレビにお金を払うのは無駄だと感じますし、
忘年会や新年会も無駄だと思っています(より正確に言うと、お酒を飲み、
酔っている時間が無駄です)。

ただ、それはあくまでも個人的かつ相対的な話です。

普遍的かつ絶対的に無駄なこと、無駄なものというのは、
おそらくないと思います。

つまり、1日24時間という有限性の中で、僕らがやれることは
極めて限られていて、その中で何を成すのか、という問題です。

好むと好まざるとにかかわらず、生きていくとは、僕らに用意された
無限の可能性の中から、必ず何かを選択していくことを意味するわけです。

何かを選択するということは、それ以外の全てを選択しない、ということでも
ありますから、人生というのは、やらないことの積み重ねであるという見方も
できるのかもしれません。

「その人が何をやってきたのか」

を見ることでその人の大体の人間がわかる面もあるかもしれませんが、
情報量としては、実は

「その人が何をやってこなかったのか」

の方が多いと思います。

そこに、いろんなストーリーも詰まっていると思いますし。

まあそれはともかくとしても、よく言われることですが、
1日1時間を無為に過ごした場合、1年で365時間無為に
過ごすことになります。

365時間というのは、二週間以上になります。

一日たった1時間を無駄にするだけで、年間二週間、丸々無駄にしている
ということの意味を、せっかくの年末年始ですし、よくよく考えてみるべきだと
思います。

裏を返せば、今よりも毎日1時間ずつ有意義な時間を増やせば、
二週間神様からプレゼントされたようなものだということでもあります。

二週間あれば、たとえば外国語の基本的な文法はマスターできます。

英単語が4000語くらい覚えられます。

頑張れば哲学書が一冊読めます。

まあ何でもいいですが、結構な時間だと思うわけです。

そういう意味で、僕は「相対的な無駄」というのはある程度
存在していると考えています。

簡単に言えば、それ、優先順位おかしくないですか、ということです。

バカな人が「頭がよくなりたい」と思いながらテレビを見ているのは
どう考えてもおかしいですね。

お金を稼ぎたいサラリーマンが仕事終わりに同僚と飲みに行くのは
まったくバカげています。

ざっくり言うと、成功というのは、人が寝てる間にどれだけ努力したかで
達成できるかできないかが決まるものだと思うのですが、そういう発想が、
そもそもない人があまりにも多い。

そして皮肉なことに、そんな人ほど、日々不満だらけで生きている。

人並みかそれ以下の脳みそしか持たない人間が、人並みかそれ以下の努力で
人並み以上の成功を手にできたら、世の中の秩序という秩序は全て崩壊して
しまいます。

そんな不公平な世界は、僕は嫌です。

凡人なら、人の三倍努力してようやくスタートラインです。

こんなとりとめもないことを、神聖なる、いや、悪魔的なるミサの前の
ビックカメラで、ぼーっと考えておりました。

内容的には、大きなお世話だと思いますが、ただ大きなお世話が好きじゃなきゃ、
こんな仕事やってないわけで。

教育関係とか、コンサル関係が仕事の人は、この気持ちが
わかってくれるんじゃないかなと少し期待しています(笑)。

人間の、人生の有限性を自覚し、その中で自分がなすべきことを理解し、
自分の頭で判断をしながらたゆまず努力をすること。

それを通してしか、成功は手に入らないというのは、多分誰もが
ある程度納得してくれると思いますが、大事なのは、これが

「最低ラインである」

ということです。

「自分の有限性もわかったし、やるべきこともわかったし、
ちゃんとやってるし、頭も使ってるし、毎日努力しているのに
まだ成功できません」

という人は、まずは

「自分は最低限のことしかやっていないんだ」

ということを強く理解してください。

そしてその後さらなる努力を重ね、ますます上記の思いを強くして
しまったならば、多分、成功するセンスがないと思いますから、
成功を目指さない生き方という、なんとなくどこかの精神科医が
言いそうな生き方をお勧めいたします。

誤解しないでほしいのですが、これは突き放しているのではありません。

人には向き不向きがあります。

世間が言う「成功」に向かない人もいるわけです(多分、僕自身
あまり向いていません。それは、残念なことに、僕を一定以上
よく知る人なら、すごく同意してくれると思います)。

ですから、そのセンスがない人は、いち早くそんなものには背中を向けて、
自分だけの成功を定義するための旅に出るべきだと、僕は思います。

ちなみに僕がその旅に明確に、自分の意思で出発したのは、
多分高校受験の時です。

今でもあっちこっちをさまよってますが、意外と楽しい旅ですよ。

そういえば博報堂が「国のイメージ年齢」に関するアンケート調査を
実施したみたいです。

対象となったのは9カ国、で日本が51.7歳となり、最も高齢となったという
発表を目にしました。

「日本のイメージ年齢が高いことについて、回答者の多くは、
国としての方向性や気力を失い、過去の栄光の記憶にすがって
生きていることなどを理由として挙げている。」

だそうですが、もうこの結果自体が、終わってると思います。

いや、このアンケート自体が極めて乱暴というか、アホ臭いというか、
どーしよーもないものであることはもちろんですが、一番がっかりなのは、
アンケートに答えた人の多くが

「日本は高齢である」

と感じているという点です。

事実は全く逆で、日本は現在、歴史上類をみないほど
幼稚な国になっています。

僕のイメージでは、大体4歳くらいです。

ちなみに二番目に高齢だったのはアメリカだそうですが、
アメリカもかなり幼稚な国です。

しかしそれでも、日本の幼稚さには到底及びません。

アメリカは、大衆社会が、大衆社会的な意味合いにおいて
成功していますが、日本はそれすら成功していません。

アメリカと違い、指導者層がバカだからです。

戦後上滑り的にアメリカの真似をしたつけが今になって如実に
顕在化している。

これは外からものを言っているのではなく、そんな国に育てられた
自分も含めて、自戒の意味も込めて言っています。

ですから、アメリカは、子供と大人のダメな部分だけが肥大化した国であり、
日本はただひたすら子供で幼稚な国、というイメージが正解でしょう。

しかしアンケート結果は、全く逆の結論を導いてしまった。

大体、「過去の栄光にすがっている」とは一体何の話をしているのでしょうか?

元寇を撃退したことか、日清戦争に勝利したことか、天照大神の徳の高さか、
まさか戦後復興と高度経済成長からのバブルという近視眼的なものなのか、
全く僕には意味が理解できません。

「すがっている」という言葉を使うからマイナスの印象になりますが、
過去の叡智と伝統を今に活かしていると言えば、非常にプラスの印象になります。

つまり、どうとでも見れるこのアンケートそれ自体には、何の意味もないのです。

ただ一つ、いかに、現代の日本人が、自分たちの姿を正しく把握できていないか、
その力すら失ってしまっているか、よくわかる形で示してくれたアンケートだと
思います。

そんな世の中を見て絶望する人もいるだろうし、絶望の中に何とか
活路を見出そうとする人もいるだろうし、その辺は人それぞれに
任せられるのだと思いますが、スタートになるのは、いつも

「自分の頭で限界まで考えること」

です。

世間の雰囲気や学校、新聞やテレビなどに騙されず、それらの
愚民化政策の罠をかいくぐり、真理を探究する意識。

もう何年も言い続けています。

こういう話を聞いたところで明日のご飯がおいしくなったり
今月の家賃やローンが楽に払えたり、そんなこともないから
あんまり楽しい話ではないのはわかっていますが、でも誰も言わないから
しつこく言い続けてやろうかな、と。

まずは世間に対して背を向けなさい、盲従するのをやめなさい、と。

僕は「今を全力で生きること」「未来ばかりを気にして
現在を生きていないのは愚の骨頂」とよく言いますが、
これはハイデガーの影響です。

未来を見つめるのは特殊なニヒリズムだ、と最近のセミナーでも
言いました。

しかし最近、ひとつ大きな視点を手に入れました。

冒頭の聖飢魔Ⅱですが、彼らは

「我々は未来からやってきた」

とよく言います。

そして

「現在を生きろ」

とも言います。

はじめ聞いた時は、今か未来かどっちなんだよ、と不敬虔にも
突っ込みを入れてしまっていましたが、今回のミサで意味が
ようやく、おぼろげにですがわかりました。

未来から現在を眺め現在を生きるという視点と、その意義。

さすが悪魔は違いました。

今か未来か、などという粗雑な二元論に陥っていた自分を
猛省しきりです。

悪魔たちは、悪魔のくせに、多分我々人間よりも、この地球と、
日本を愛し、考えています。

僕は日本を愛しているかはわかりませんし、民族主義者では
全くありませんが、ただ日本と日本人の根本的な能力は、
世界に誇れると信じています。

当面の課題は、その素晴らしい能力をダメにする数々の制度や
風潮からいかに多くの人を自由にしていくか、かなと。

いろいろ考えさせられ、学ばされたミサでした。

もっとも、そんなためのミサではなかったのかもしれませんが(笑)。

ではでは、何かまとまったわけではありませんが、
個人的には勝手に一段落ついたので、今回はこの辺で。

質問や感想などがあればこのメルマガに返信してくださいませ。

ありがとうございました!
木坂

追伸:年に2~3回程度しかメルマガを出さないので、
最近いただくメールを見ていて、「はじめてメルマガ読みました」
という人が増えているなという感覚を持っています。

そんな人たちのためにも、また昔から楽しみに読んでくれている
人たちのためにも、もうちょっと出せるように頑張りたいんだけどなー。

という年の瀬。