○○さま

こんばんは、木坂です。

えー、まずはちょっと連絡をば。

試験の回答採点、まだ終わってません(苦笑)。

なので、まだ合格通知がきていないからといって
落胆せずに、もうちょっと待っててくださいませ。

いかんせん時間がかかるかかる(苦笑)。

大体1人採点するのに平均15分くらいかかってます。

と、まあ仮に400人採点するとすると、6000分。

なんと100時間。

1日2時間作業時間をとっても、約2ヶ月かかる計算です。

半分の200人だと1ヶ月。

倍の800人だと4ヶ月(爆)。

寝る間を惜しんで採点してるんで、もっと早くに
完了はしますけど、それにしても、こんな時間かかるのか・・・。

前もって算数しておけばよかった(笑)。

ああ・・・今度から採点は誰かにやらせよう、とか
考えちゃったりして(苦笑)。

てなわけで、今月いっぱい待っててください、採点結果。

「私受かってないんですか?」という問い合わせは、その後
来月になってからでお願いできればうれしいです。
ではでは、連絡はこのくらいにして、今日のお勉強にいきましょう。
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目次

1.面白いアイディアを出すためのヒント。

2.現代に特有の“バカ”とは誰か?

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1.面白いアイディアを出すためのヒント。
最近、いろんな人から同じ嘆きを聞くようになりました。

メルマガの読者然り。

僕が見ている会社の社長然り。

知り合いのネット起業家然り。

その人たちの友人然り。
「もう、みんなと似たようなもの作っても、全然売れねぇんだよ」
こんな嘆きです。

商品やサービスの種類がまだ少ない時期ならば、似たようなものでも
例えば価格で差をつけてみたりとか、納期で差をつけてみたりとか、
支払いプランで差をつけてみたりとか、なんか細かいところで
いろんな差をつけて、なんだかんだそこそこ売れるんです。

しかし、あるテーマの商品やサービスが増え、それを見ている人、
つまり見込み客が

「似たような商品が多いなあ・・・どれがいいのかなあ・・・」

と考えるようになってしまったら、もうドンドン売れなくなっていきます。

売れなくなっていくというか、顧客がバラけていくわけです。

いろんな「似たような」商品に。

だから、相対的に、売れなくなってくる。

男ばっかりの理工学部時代はマドンナ的存在でチヤホヤされてたのに
女の方が多い企業に就職したとたん見向きもされなくなった、的な(笑)。
この種の問題は、別に今に始まったことではなくてずーっと昔から
あったものなのですが、最近特にそのような嘆きを耳にします。

最近になってようやく「痛み」として実感されてきたというのもあるかも
しれませんが、その背景には、おそらく時代性というものがあって、
インターネットの普及とかってのも、一役買っている気がしてなりません。

ネットが、今の状況を作っている、と。

インターネットが変えたもの、というのは本当に数限りなく
あると思うんですが、もっとも大きな変化のひとつに
「好みの多様化を促進・爆発させた」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ってのが挙げられると思います。

わかりやすいのがテレビとの比較です。

従来、お茶の間娯楽の必須アイテムとして君臨していたテレビは、
言ってもNHK+民放の7チャンネルしかなかったわけです
(地方テレビとかケーブルテレビとかはとりあえずおいといて)。

しかし、同じ動画で言えば、今はいくらでもありますね。

youtubeをはじめとする動画共有サイトや、GyaOとかDMMとか、
有料無料問わずいろいろと。

チャンネル数、という概念がもはや希薄になってきています。

何万チャンネルとかあるわけですから、もはや意味ないですね、
チャンネルという概念が。

そーゆーコンテンツは、テレビと違ってスポンサーを直接的には
必要としないんで、実に自由な内容のものが、リアルタイムで
公開されるという特色を持っています。

人々は、一方的に提供される「微妙に面白い」コンテンツから、
自分で検索して探し出した「個人的にめっちゃツボ」なコンテンツに
移行しているわけです。
「あ、こんな面白いもんが世の中にはあるんだ」
って感じで。

言ってしまえば、みんな自分の好みに正直に行動するように
なってきたってことですし、「微妙な」モノに対する評価が
シビアになってきたということですね。

さらに、検索機能がドンドン強化されて、自分のツボにハマリそうな
コンテンツの一覧を一瞬で作成し、一瞬で比較検討できる世界が
実現しています。

これによって、非常にシビアにそのクオリティ、というか
ツボのハマリ具合を検証されることになったわけです。
この、
・自分の好みに正直になった

・好みに合致しそうなものの一覧を作成・比較検討がしやすくなった

・「決してつまんなくはないけど微妙」なコンテンツにシビアになった
という3大認識変化が、実は冒頭の
「もう、みんなと似たようなもの作っても、全然売れねぇんだよ」
というぼやきの原因なのです。

要するに、ほとんどの商品やサービス、まとめてコンテンツと
言ってしまいますが、ほとんどのコンテンツは

「微妙」

と判断される時代になってきたのです。

有料であるなら、なおさら。

もっと絶望的なことを言えば、
「一番以外は全部“微妙”」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
というのが、現実です。

「似てるなあ」

と一瞬でも比較された時点で、負けみたいなもんなんですね。

そんな厳しい世界になってきてます。

もちろん、今はネット起業の話に限ってしているわけでは
ありませんよ。

ネット起業はまだぬるい方です。

テレビや新聞やラジオといったハイパーマスメディアが、
さらには雑誌といった紙の主要メディアが、一体どれだけ
苦しんでいることか。

テレビ広告や雑誌広告に依存していた広告代理店や、
テレビの制作会社や雑誌の制作・出版会社がどれだけ苦心して
いることか。

その苦労は、さすがの僕でも軽く引きます(笑)。

そりゃ自殺者も出るし、あんな有名雑誌も急に休刊するわ、
テレビも最高につまらなくなるわ、って感じですよ。
で、そんな厳しい中において、逆に業績を伸ばしているメディアや
企業もいくつかはあるわけで、そーゆーところが一体どうして
伸びているのか、普通のコンサルタントとかはわかりません。

頭よすぎるんですかね、いらん分析ばっかりするから。

「分析」ってのは、あくまでもデータ(数字)に基づく合理的な
検証なんですが、今人々は、決して数字に還元できない、まあ、
平たく言えば合理的とは言えない行動を取りまくっているわけです。

「これは好き、これは微妙、これはダメ」

この状況、単純に数字にできます?

できないですね。

ですから、いわゆる「分析」ってのは、実はあんまり現状を打破するのに
役に立たないんです。

これは、実体験からも、そう思います。
じゃあ、一体どうすれば?

って疑問がわいてくるかと思うんですが、実は業績がむしろ伸びている
企業や事業に共通していることは本当に単純なんですよ。

いや、ホントに。

一言で済みます。

いいですか?
「そこでしか手に入らない」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
これだけ。

こーゆーコンテンツを提供している。

つまり、すんごいユニークで、比較されるとかされない以前に、
そこにしかないものなんですね。

だからそこにそれを欲しい人が“無条件に”群がる。

考えてみれば、当たり前なわけです。

DRMの世界では、100年以上も前から言われていること。

「オンリーワンになれ」

って。

ナンバーワンってのは、高度経済成長期とかに有効な発想です。

比較されても何でもいいんだ、俺たちは一番だから、とにかく作れ、
そして売れ!というかなりマッチョな発想。

しかし今は比較されたら事実上負けの時代。

となると、比較されない立場、すなわちオンリーワンになる
必要があるわけです。
と、ここまで説明すればわかると思いますが、どうして
僕が察知だの企画だのと最近特に言い続けているのか。

それがないと、オンリーワンなんて夢のまた夢だからです。

アイディアを思いついた時点で、かなりの部分の勝負が決している、
そんなイメージで問題ないかと思います。

ありきたりなことを思いついたら負け。

ユニークなものを思いついたら勝ち。

それに僕がいろんなとこでしゃべってるマーケティングとか
コピーライティングとかの知識があれば、無敵。

いや、少し控えめに言って極少敵(笑)。

いずれにしても、思いつくか思いつかないか。

これが非常に重大なポイントになってきているということです。
アイディア。

悩ましい言葉ですよね。

ありきたりなことはいくらでも思いつくけど、世界初とか、
ユニークとか、そういったものになると、とたんに思いつかない。

てか、思いつけるやつなんて世界に一人だし、すげえセンスのある
やつしか思いつかないんじゃねぇの?

とか、思わず考えてしまうわけですが、んなこと言ってたら
何も始まらないわけですし、前向きに考えてみるとしましょう。

どうやって面白いアイディアを出すのか。

僕はビジネスやマーケティング上の企画を出し続けて
それなりに結果も出していますが、違う分野でも、実は
いろいろな企画・デザインなどをしています。

例えば何年か前からスーツのデザインをしたり、作曲とか作詞は
中学の頃からやってたし、小説なんかも実は3本くらい書いたり
してたり(もちろん出版はしてないですが)、最近はイラストの
デザインや工業デザイン、サイトデザインに至るまでお遊びがてら
やるようになりました。

ビジネス以外全部中途半端でまだまだどーしよーもないんですが、
それでもいくつかは実際にデザインとして世に出ているし、
これから出る予定のものもあるし、全部人並み以上には
できるというスーパーポジティブな見方もできるわけで(笑)。

例えば、これは個人的にすんごい自慢なんですが、僕、スーツに
フレアパンツを合わせたものをデザインしたことがあるんです。

もちろん、自分のために、です。

その、フレアのラインが、実はすんごいユニークというか、
今までにないフレアで。

ビジネスシーンで着ても大丈夫なフレア、だけど同時に
パーティーシーンにも映えるフレア、という相反するニーズを
満たしたものなんですね。

はじめこれを提案した時、あるテーラーでパターンやってくれてる人は
相当渋りました。

「これ、服にならないですよ」

って。

でも、なった。

できてみたら、あまりに脚を綺麗に見せるそのラインがユニークで、
そのテーラーでスペシャルメニューとして採用されるに至ったんです。

脚が5センチは長く見えます。

超マニアックな自慢で申し訳ないんですが、このフレアのラインを
思いつき、実際に数字で表現するのに、途方もない時間と労力とお金が
実はかかってたりして、個人的にはすごい嬉しかったんですね。

自分のアイディアが形になって、しかも評価され、受け入れられる
というのが。

たかがフレア、されどフレア。

んで、自慢はこのくらいにして、今から一体どうやって面白い
アイディアを思いつくのか、そのためにしていることなどを
話してみたいと思います。

何かのヒントになれば幸いです。
ぶっちゃけて言うと、面白いアイディアを思いつくのに必要な
ことは2つしかないです。

細かーい訓練とか練習法とか入れていったらもっともっと
増えますけど、根本的には、二つです。

まず第一に、勘違いしてはいけないのが、別に100億円の
値がつくアイディアとか、世界を根底からひっくり返しちゃう
アイディアとか、そんなすさまじいものを思いつけと
言っているわけはない、ということ。

大上段に構えなくていいです。

10人くらいが

「めっちゃツボ!」

って言ってくれそうなアイディアで十分なのが、今の時代。

気軽に構えましょう。

フレアのパンツを合わせるスーツなんて、すんごい限られた人しか
興味ないですしね。

ってか、元々僕だけのために思いついたものですし。

どんなくだらないものでもいいんだ、どんなマニアックなものでもいいんだ、
を合言葉に、思いついたことはドンドンメモしていきましょう。

気軽に、でも執拗に。

これが、まず一番目に必要なこと。
そして二番目に必要なことですが、そしてこっちが非常に
重要なのですが、それは
「情報を整理しない」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ってことです。

頭の中でも、ノートでも、本でも、何でも。

自分の持っている情報は、極力整理しないようにすること。

極力カテゴリー分けしないこと。

極力ラベリングしないこと。

こーゆーことを心掛けてください。

意外ですか?

でも、この意識が、「生理整頓はいいことです」と何十年も
刷り込まれてきた僕たちにとって、本当に大事なんです。

例えば、ですが、僕は仕事柄いろんな業種のチラシやセールスレター、
DMなどを集めて大量にコレクションしていますが、その保存方法も
「ノーカテゴリー」です。

よくいろんな人が無考えにやっている「業種別」は、僕の中で
最悪の整理の仕方。

あんなに未来の可能性を抹殺する保存方法もないなあと思うわけです。

もちろん、明確な意図があってやってるならまだいいのですが、
ほとんどの人は「なぜ、業種別に保存しているのか?」という
問いに対して明確な答えを持っていませんね。

「何となく、業種別の方が便利そうだし、探しやすそうだし・・・」

くらいが関の山ではないでしょうか?

これでは、全くダメ。

もしかしたら、そのレターを書いた人物別、とかならまだ
いいのかもしれないですが、どちらにしても僕は何も整理していません。

あらゆる業種のレターやチラシ、パンフレットが、一緒のファイルに
とじてあるんです。

ごちゃっ、と。

なぜなら、これが最も新しいアイディアを見つけやすいから。
例えば「美容」というカテゴリーファイルを作るとしますよね。

エステのチラシとか健康食品のDMとかそんなやつが
いっぱい入ったファイルが出来上がります。

さて、このようなファイルがあるとき、美容関係のレター書いていて
行き詰ったら何をまず参照にします?

まず参照するのは、もちろんこの「美容」ファイルですね。

そこには他社の成功事例や失敗事例がいっぱい詰まってますから。

参考になりそうなものがたくさんあるわけです。

だから、参考に手を伸ばす。

そして、見事に失敗します。

なぜ?

そのファイルからは、ありきたりなアイディア、もしくはそれに
毛が生えた程度のアイディアしか生まれないであろうからです。

既に成功したヘッドコピー、失敗したマーケティング戦略、
うまくいかなかった封筒にうまくいった封筒。

そーゆーモノがたくさんあったとき、無意識のうちに、

「うまくいったもの」

ばっかり見て、何となくそれに“似ている”ものを作り上げて
しまう。

それが、僕のように、よく言えば合理的、悪く言えばなるべく楽したがる
人間のとりがちな行動なのです。

新しいものは、生まれません。

ブレイクスルーは、起こりません。

そして生み出された“何かに似ているもの”は、市場に出された時、
無視されます。
この「ノーカテ運動」は、スクラップブックに限らないです。

PCに保存してあるあらゆるデータ、例えばテキストデータから
画像、動画まで全部ですが、それらも、「マイドキュメント」に
全て無作為に放置されています。

これは特に驚かれますねー、話すと。

階層分け、フォルダ分けということを、まずしません。

いや、厳密にいえば、昔はしてましたが、全部とっぱらって
今ではひとつにしました。

僕のPCは比較的古いのでハードディスクが250ギガくらいしかないのですが、
今240ギガくらい埋まってます。

その全てが、マイドキュメントに鎮座。

壮観ですよ。

スクロールバーが、小さい小さい。

これぞナノテクノロジー。
ちなみに、ブラウザの「お気に入り」も一気にズラーっと並んでいます。

まあ、そもそもそこまで数が多いわけではないんですけども。

「整理」とかゆータブは、僕クラスになれば全く無意味。

そのくらい徹底して、「整理しない」ことを最近は心掛けるように
してるんですね。

もちろん僕が言うまでもなく、わかりやすいのは、きちんと
カテゴリー分けされたディレクトリ構造だから、このスーパーフラットな
構造はわかりにくいものです。

明確な目的、明確なターゲットがある場合、それを見つけるのには
とても時間がかかります。

ディレクトリ内を右往左往していたら、平気で何十分も経って
しまいます。

しかしながら、わかりやすく親切なディレクトリ構造では、
真に自由な発想というものが、阻害される危険が高い。

そう、美容のチラシのところでお話したようなことが、
あらゆる場面で起こり得るのです。

合理的な思考が出来る人ほどつまらない企画しか持ってこないのは、
そのためです。

情報が、整理されすぎている。
結局、どっちを優先するか?という問題なんです。

自由な発想と、わかりやすさ。

ただ、ひとつ言っておきたいことがあります。

整理は、人間よりも機械が得意です。

フォルダが一個しかなくても、検索機能を使えば、一瞬で
目的のファイルを探してくれます。

一発でカテゴリ分けしてくれます。

任意の特徴を持ったファイルだけ、秒殺でピックアップしてくれます。

だから、事実上フォルダは一個でいいんです。

実は大して不便ではありません。

見た目に迫力がすごいだけです(笑)。

しかし、突拍子もないこと、非論理的なことは、
人間にしか思いつけません。

「面白い」なんて曖昧な概念を生み出せるのは、
人間だけなんですね。

どっちを優先させた方がいいのかは、比較的すぐに判断つくんじゃ
ないかなあと思うのですが、いかがでしょうか。
・・・さて、重要な点をまとめますね。

ディレクトリ構造にして実にすっきり整理してしまうと
新しいアイディアが生まれず、例えて言うなれば学生時代
ノートだけはやたら綺麗でテスト前限定でクラスの人気者になった
あいつみたいな、そんな生き物になるってことです。

情報屋さん。

でも僕らが欲しいのは、この非常にやりにくい時代を生き抜くために
必要としているのは、綺麗なノートではないですよね。

一言で言えば、テストの点が欲しいわけです。

綺麗なノートを貸してもらって、満点取れました?

学年で一番になれました?

なれないんですよ、綺麗なノートじゃ。

なれなけりゃ、今の時代は、ちと厳しい。

だから僕はあえて情報は整理しないんです。

情報は、未整理のまま、自由気ままに形を変えて、自由気ままに
新しいものになり、自由気ままなアイディアを生むところに、
真の価値があると思っています。

リニアなパラダイムを越えて、ノンリニアなパラダイムへ。

リニアな現実なんて、実際には存在しないわけです。

すべては非連続であり、ノンリニア。

だから僕は、目先の便利さやインスタントさに誘惑されながらも、
頑張ってノンリニアな生き方をするんですね。

その先に、“面白い”アイディアが待っています。

だから、苦痛なんて全くありません。

むしろ、それ自体非常に面白いと思ってやっています。

是非是非、試してみてくださいな。

特に、何となく行き詰まりを感じている場合。

もう避けては通れないと思いますよ。

2.現代に特有の“バカ”とは誰か?
関東の人は「バカ」と言い、関西の人は「アホ」という。

ホンマかいなと思いつつ、ここではその「バカ」ないしは「アホ」が
一体どんな人を指し示しているのかについて話してみたいと思います。

とは言っても、純粋に「バカないしはアホ(以下「バカ」)」の
定義をしようというのではなくて、もうちょっと絞って、
「現代に特有のバカってどんなんだろ?」
という疑問に答えていきたいんですね。

というのも、僕は昔から「バカにはなりたくない」と思って
生きてきたんですが、最近になってそのときそのとき僕が嫌がっていた
“バカ”が違うような気がしているからです。

“バカ”になりたくないから、そうならないためにいろんな努力を
しますよね。

例えば、あるときは猛烈な受験勉強に反映されたり、またあるときは
猛烈な哲学の研究に反映されたり、またあるときは猛烈なディベートに
反映されたり、とまあいろいろ。

「バカ」として周りから見られるのももちろん嫌でしたが、自分で
「ああ、俺ってバカなのね」と感じるのが、もう我慢できなかった。

逆に言えば、自分のことをどこか“バカ”だと思ってるからこそ、
ここまで執拗に脱バカしようとしていたんだと思うんですけど。

本当にバカ指数ゼロだったら、「バカは嫌だ」なんて発想すら
出てこないと思いますから。

だから、そのときそのときの僕の脱バカに向けた努力というのは、
ある意味でそのときそのとき自分に欠けているもの、つまり自分を
バカたらしめているもの、それを補おうとする行為だと思うわけです。

Aという要素が補われて、ああよかった、これで俺はバカじゃなくなった、
と安心するやいなや、また別のBという足りない要素が目に付いて
バカな気がする。

猛烈な努力の末Bを補えて安心したのもつかの間、今度はCという
要素が足りないことに気がついて・・・以下無限、って感じで。

まあ、これが人間の成長の源泉なのかなあとか自分を慰めつつ、
話は先に進みますが、とにかく“バカ”というのは、一律では
ないような、一定の定義ができないような、そんな気が
しているのです。
では、一体どうやって“バカ”を定義するのか。

少し前の僕だったら、

「その人がいるステージによって、バカの定義は変わると思うよ」

としたり顔で吐き捨てたと思います。

デカルティズムの境地。

これが間違っているとは言いませんが、最近の僕は少し違った
捉え方をしています。
「その時代に特有のバカってのがあるんじゃないか?」
人間、社会的な動物として生きている以上は、どんな偉大な
アーティストであっても、その時代の枠組みの外で活動することは
できません。

「時代の既成概念をぶっ壊した!」

という作品でさえ、そもそも「その時代の既成概念」があってこそ
成り立つわけですから、その意味で時代の枠組みの中で活動していると
言えます。

ですから、やはり“バカ”にも時代性がどこかしらにあると思うのです。
となると、現代社会、特に現代の日本社会において“バカ”と認定
される人たちにはどんな特徴があるのか、ということが
問題となってきます。

その特徴がわかれば、自分がバカになりそうな時とかは
「ハッ」として気がつくことができますからね、非常に
重要なことだと思うのです。

このことを考えていたときに、友人でもありクライアントでもある
亀田さんとの会話がすごいヒントになりましたので、そのときの
エピソードをお話しますね。

イキナリ登場した亀田さんですが、QHMというホームページ作成ツール
を開発・販売している方で、実は日本で数えるくらいしかいない
情報学博士号を持っている方です。

今ではスタンダードとなったJavaを、全然使われていなかったころから
研究室に導入して使っていたり、僕では全く理解できないことを
ひたすら研究していたツワモノ(笑)。

ホームページビルダーがわかりにくすぎて素で使えず、
何とか誰でもホームページを作れるようなものは作れないかと
考えてQHMに行き着いたようです。

「エグいポータルサイトみたいなの以外はどんなものでも作れます」

って断言しているあたり、博士号の意地とプライドを感じさせます(笑)。
彼はICCのクライアントでもあって、今まで何度か面談させて
いただいたのですが、さすがに名前に博士がついているだけあって、
その知識が深い深い。

そして広い広い。

僕の博士に対するアドバイスはいつも一言で、

「こんなホームページじゃ意味わかりませんから、イチから
書き直してください」

で終わり。

博士は

「わかりました」

で終わり。

そして本当にイチから全く別のホームページができてきて、
また次の機会に

「怪しさが増したのでまたイチから書き直してください」

で終わるという、なんとも簡素なものになっているのですが、
さすがに理不尽の極致である研究室にいただけあって、
嬉しそうに修正をしてきてくれます(笑)。

まあ実際にはどこをどう修正するべきかとかの話も
しているんですが、そんなことより毎回ゼロに叩き潰されて
でも全く笑顔で作り上げてくるその姿勢に感心しきりなわけです。

すげえなあ、と。

アドバイスがこのくらい簡素だと、残りの時間は何してるかと
言えば、雑談です。

ひたすら、雑談。

例えばゲーム理論。

例えばアラン・ケイ。

例えばマクロ経済学。

例えばシュンペーター、ケインズ、動態的経済理論。

例えばダーウィニズムのコンピュータープログラムへの応用。

例えばPNP問題。

例えば微分・積分。

例えば哲学。

他にも細かいこといろいろ。

気がついたら5時間経過。

もちろん、僕はコンピューター関係の話にはついていくのが必死、
っていうか半分くらい意味わからないんですが、
すごく楽しい時間だったのを思い出します。

これくらいいろんなジャンルの話をすると、本当に多くの
アイディアが出てきます。

ほら、さっき話した、情報のノーカテゴリー化です。

多種多様なテーマで話すので、脳みそのいろんな部分が刺激されて、
ふつーじゃ思いつかないアイディアがザクザクと。

何度かメモを取ったので、周りからは僕がアドバイスしてんだか
僕がアドバイス受けにきてんだかわからなかったかもしれません。
ちなみに、詳しく紹介する必要もないのですが(笑)、
博士は結構ガチな研究者で、
・海外で論文をいくつも発表したり

・関西大学でデータ分析やプログラミングの授業を受け持ったり

・NTTや大阪府と共同で行った自分の研究がNHKにニュースで特集されたり

・ビルがまるごと建つような予算をもらって研究したり

・鹿島建設との共同研究プロジェクトをまかされたり
・・・とまあ、他にもいろいろ面白い経歴はあるんですが、
こんなガチ具合です。

そんなガチ博士ですが、実は既に純粋なアカデミックの世界からは
身を引いています。

その理由は、僕は直接聞かせてもらったのですが、彼のサイトに
明快な記述がありましたので紹介しますね。
「博士課程最後の年に近づく頃、
僕の研究分野の裏側もよく見えるようになった。

「いわゆる白い巨塔」

参考にもならなかった、論文を参考文献として載せる。
それによって、知り合いに審査してもらえる。
気を遣って、本当に大事だと思うことを発表できない。
僕が、ずばっと本音を言うと、何の質問も議論も返ってこない。

議論をするのが学会ではないのか?

そして、

「元々裕福な人たちの集まり」

僕には肌が合わなかった。
留学したいと言えば、お金をぽんと出してくれる親がいる。

僕の家は母子家庭で、そんな余裕はない。
もちろん、できる限りの援助は惜しまずしてくれた。

それでも、いい年をして稼ぎもせず、学生をしている自分が、

「嫌で、嫌で仕方なかった」

一方で、職業として大学で研究していくことを考えたとき、
未来を想像したとき、ぞっとした。」
こんな理由で、「自立」して自分なりに本当に世界に役立つ
研究を進めていくことを決意したそうです。

僕が大学に絶望して研究職になることを辞めた理由と全く
同じなので、初めて聞いたときはびっくりしましたが、
まあ、やっぱりそんなもんだよなあとも思いました。
その博士が、僕との面談の最中、ポロっとこんなことを
言ってたんです。
「情報社会で最も大切なのは、自分の目です。それがない人は、
生き残れないと思います。最後に信じられるのは、自分の目しか
ないのですから。」
まさに。

いぐざくとりい。

僕は思わず身を乗り出し、声を大にして賛同してしまいました。

今が高度に複雑化した情報社会であることは誰しもが認めるところだと
思うのですが、そんな世界を生き抜けるのは、決してグーグルの
使い方がうまくて人より多くの情報にアクセスできる人ではなく、
「なにが本当の情報でなにがクソな情報か、きちんと見抜ける人」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~^
なんですね。

情報の洪水の中を、的確に泳ぎきって向こう岸につけるか
つけないか。

あっちふらふらこっちふらふら、何が正しくて何が正しくないか
わからない、見抜けない、そんな訓練してない、自分の軸がない、
そんな人が流されて流されて行き着く先は、当然滝つぼです。

うん。

流れはすごいし、よっぽどでない限り、もう浮いてはこれないでしょう。

さようなら。

まあ、「見抜ける人」というのは実はあまり正確ではなくて、
より正確には「決めることのできる人」なわけですが、
とにかくそーゆー人“しか”生き残れない。

逆の言い方をすれば、そーゆー目を持っていない人は、
知らないうちに情報に踊らされて、自分の人生を自分の人生として
全うできず、残念な最期を迎えてしまう、と。

そーゆー話なわけです。
じゃあ、「正しい情報はどうやって見抜いたらいいのか?」って
話になると思うんですが、これは博士も言っている通り、
自分の目を鍛えるしかないんですね。

先ほども「見抜くというよりは決める」という言い方の方が
正確だといいましたけど、「決める」というのは判断ですから、
厳密には正しさを「発見する」わけではないということです。

ここが、多くの人が勘違いしているところなんですが、
自分とは完全に切り離されて何か客観的な「正しさ」とか
「価値」とかが存在するわけではないんですね。

「価値」というのは、ある商品やモノ、情報や人それ自体に、
客観的に内在しているわけではなくて、あくまでも
「それを見た人が自分の中に見出すもの」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
であるということです。

例えば、僕は絵や字といった類のものが本当に下手で(苦笑)、
これに関しては小学生以下のスキルしかないと、真剣に思うわけです。

しかしながら、ここに奇特で有名なおじいさんがいて、僕が書いた
ミミズなのかなんなのかわからないような字に

「これこそ爆発した芸術だ!」

と、ありがたいのかありがたくないのかイマイチよくわからない
評価を下し、1億円で買ってくれたとしますね。

それは、個人的には完全に「対価」の概念を超越した法外な
取引なんですが、そのおじいさんにとっては「対価」として
成立している取引なわけです。

少なくとも、僕にはそのおじいさんに限って、僕の持つ技能を使って、
おじいさんが求めるものを生み出し、的確に伝えていく力を
持っていた、ということになる。

他の大勢の人には、ヘタクソな字以外の何も提供できないけれども。

逆に言えば、このおじいさんに出会わなければ、僕が書いた字は、
1円の価値も持たない。

世の中の物事には、いつでもこのような二面性があります。

前回ちょっとお話したピカソの絵も、何十億円も出して
買う人もいれば、それを

「単なる絵の具のシミじゃないですか、そんなのにお金払うなんて
バカですよ。あんなの詐欺だから、早く逃げる前にお金返してもらった方が
いいですよ。あのピカソってやつ、前にも同じやり口で詐欺ってるらしいし。」

って、あることないことくっつけて恩着せがましく言う人もいる。

ちなみにこの発言のイメージはブラック和佐です(笑)。

和佐君は、僕が大好きなダイヤを「石ころ」と呼び、僕が
尊敬してやまないガリアーノの服を「布切れ」と呼びます(笑)。

ただ、判断としては、どちらの判断も正しいんです。

その人個人の中では、って条件はつきますけど。

それを他人に押し付けた段階で、それは誤りになります。

僕にとって1億円のダイヤは、原価がたとえ1500円だったとしても、
1億円で買う価値がありますから。

いいからほっといてくれ、的な(笑)。
価値とは、それを見た人が自分の中に見出すものである。

とても悲しいことに名言風にしてみてもなんの感慨深さも
加わらないことに気がつきますが、とにかくそーゆー特徴がある。

「僕の中の」1億円のダイヤ、みたいに。

つまり、極論を言えば完全に無価値なものは、この世に
存在しないということになると思います。

僕の、自分でも読めない字や、写実主義のつもりが抽象画と
間違われるような絵、或いは僕の弟の髪の毛とか、もう一見
無価値の極みのものにさえ、多くの人にとっては単なる
燃えるごみでさえ、大きな価値が与えられる「可能性」がある。

デュシャンの「泉」なんて、単なる便器ですからね。

普通の感覚で言えば、「なめてんのか」ですよ。
価値は、実は自分自身が決めるものである。

これは非常に重要な視点です。

現代版の“バカ”とは、この能力が退化しきった人のことでは
ないでしょうか。
・大声で何か言われたら、何となく正しいんじゃないかと
思っちゃうような人。

・自信満々な人を前にしたら、すぐ自分は間違ってるんじゃないかと
思っちゃう人。

・みんなが言ってることが“正解”だと思っちゃうような人。

・何が重要な情報で何が不要な情報か、自分の目で見極められない人。
そーゆー人たちってのが、この高度に情報化した社会に
特有の“バカ”だと思うのです。

頭の良し悪しではない。

偏差値ではもちろんない。

世界に対する態度の問題です。

自分と自分の感覚を信じ、自分の目を信じる。

自分から信じられる自分になるための努力を惜しまない。

それが、現代社会を生きる僕らに課せられた、本当の
「勉強」だと思うんです。

同時に、そのような能力をそいでいく現代の教育システムに、
僕はたくさん不満があります。

自分で判断するということを教えない。

最後に信じられるのは自分の目と頭でしかないということを、
誰も教えない。

聞かれればすぐに“解答”を教える。

三人よれば文殊の智慧が出るかもしれない。

和をもって尊しとなすのも美しいかもしれない。

でも、それだけじゃあ、今の世の中、生き抜けない。

今は情報社会です。

聖徳太子の時代とは、全く違う世界だと思うんですね。

個人主義に傾倒しすぎず、しかし確固たる信念と目と頭を
持って、自分で判断できる。

それが現代を生き抜ける人物像ではないか、と。

情報に踊らされるというのは、自分にそれらが欠けている、
つまり“バカ”な証拠なのです。
ネットがもっと発展し、テキストだけではなく画像、そして
動画までも個人が自由に作成・公開できるような時代がきたら、
っていうかくると思いますけど、ますますこの傾向は
強まると思います。

人類総アーティスト時代、と僕はよく表現しますが、
そんな時代に大事なのは、

「自分の中に見出した“価値”を表現していくこと」

なわけです。

そして、それに共感し、面白いと“主体的に判断した”人たちが
ついてくる。

ついてくるって言うのかな、正確には「一緒になって楽しむ」って
感じだと思いますけど、とにかくそんな関係が出来上がる。

これが、情報社会における、アーティストとか、無形財を
提供する人間とそのクライアントの、あるべき姿じゃないですか?

と僕は思います。

あ。

僕は、ですからね。

鵜呑みにはしないように。
ではでは、また次回お会いしましょうー。

ありがとうございました。

木坂